天寿を全うし思い出のスーツで旅立つ老婦人と、突然死を認められず抵抗する大男。
車はドライバーだけが動かすことができる。人間の体も同じ。
約五万人もの遺体の死後処置をしてきた中川 十(なかがわ みつる)にとって、人間は一台の車に例えられるという。
車は単独では走らない。必ずドライバーが乗って、ハンドルやアクセル、ブレーキを操作することによって車は初めて動かすことができる。
人間も同じで、車が「体」、ドライバーが「体でないもの」、たとえば「魂」とか「霊魂」と呼ばれるものに相当するというのである。
魂や霊魂という言葉が、この場にふさわしいものであるかは、専門家でないから分からないが、人間の体から霊魂が去れば、車に相当する体は動かなくなり、もし霊魂が永遠に還って来なければ、それが死というものであろう。
しかし、私も経験があるが、車が故障して道の真ん中でエンジンストップをした時、私は車を降りて、運転席の窓の外側からハンドルを回しながら、車を押して動かしたことがある。
車は「死んでいた」が、車は動いた。ニュートラルのギアにして押せば、車を安全な路肩に避難させることができた。
だから死者が動かないというのは、私たちの思い込みでしかないかもしれない。エンジンストップした車が動いたのだから、死者が動かないとは言い切れない。霊魂が体を動かせば、死者でさえ動くことがある、というのがこの実話の主題である。
5万人もの人々の中で、たった一回の例であるが、この日死者が動いた。死後処置を拒み、家に帰ろうとしたのである。
今回は、一日のうちに出会った、二人の死後処置を紹介しよう。
見えない霊魂が、見える体を動かしたという奇異な体験と、そして、その霊魂の通って来た道 ・・・ いわば生き方というものが、いかに死後の数日間に現れ出るかということを。
思い出のスーツで旅立つ老婦人。最後まで出血もなく。
場張百恵(仮名、ばーばり ももえ)さんは、99歳で中川の仕事場に運ばれてきた。ふざけた仮名だとひんしゅくを買うかもしれないが、お許しいただきたい。高級なバーバリー製のスーツと長寿が、この方の生き方を表わすために、一番ふさわしい名前だと考えたからだ。
99歳で百歳ではないと言われるかも知れないが、中川は場張の娘さんに、「いやあ、数えで言えば百歳ですよ」と話した言葉で、お祝いの意味で百恵さんと命名させていただいた。
その日の午前中、中川が病院の霊安室に着いた時、その娘さんは不在だった。娘さんは百恵さんの暮らしていた市内の福祉施設の個室に戻っていたのである。
ほどなくして娘さん(と言っても、百歳のお母さんの娘さんだから相応の年齢であろうが、中川にはとても若く見えた)が、霊安室に戻ってこられ、中川に、衣類を運ぶガーメントバッグを渡した。中には、きれいに畳まれた高級そうなウールのスーツとブラウスが入っていた。
その有名な柄、「ビートチェック」と呼ばれる柄を見れば、それがイギリスのバーバリー社製のものだと誰でも分かる。黒地に濃淡の異なるグレーのラインに、赤のストライプが印象的だ。ジャケットはノーカラーで、フリルのついた専用の白のブラウスも、クリーニング店のビニール袋にそのまま入っていた。
娘さんは、これを取りに帰っていたのであった。そして、ぜひこれを母に着せてあげて下さいと懇願した。
通常、中川はうまくお断りするのが常だった。それには理由があり、死後数時間以内の遺体は得てして出血することがあり、せっかくいい服に着替えても、鼻や口からあふれた血液が流れ出して、胸元が真っ赤にびしょぬれになることがあるからだ。
だから、遺体を葬儀社に引き渡してから、もう出血のリスクが少なくなった頃に、納棺師と呼ばれる美装担当者に着せてもらうことを勧めていた。彼らはそれが専門だ。
しかし、娘さんは涙ながらに食い下がってきた。それは、「せっかく取りに戻ったのに」という人を責めるニュアンスではなかった。本当にお母さんのことを思っての、心からの言葉だった。
「母は本当におしゃれが好きで、これも当時のお金で30万円ぐらいしたと言っていました。これは私が形見にもらったものですけど、ぜひ母に着せてあげたい」
満99歳だから、生まれは1925年、大正14年。ちょうど二十歳で終戦を迎え、日本の高度成長期に壮年期を迎えていることになる。いつ購入したスーツなのかは聞かなかったが、これだけの服を持っているということは、生活様式も富裕層の部類に入るだろう。そういえば、入院グッズを入れるために持ってきた手提げ袋が、フランスの有名高級ブティックのものだったり、身の回りの品々でさえ、ブランド印が刻印されていた。
中川は、出血があるかもしれないことを何度も念を押した上で、それでも良いという娘さんの必死な懇願を受けて、百恵さんにそのスーツを着させた。
長寿を全うした幸せなお顔がそこにあった。
治療のための点滴で、体は水風船のように膨れ上がっていたが、おだやかな表情に、高級なスーツがよく似合っていた。
結局、その後数日間、荼毘に付されるまで出血はなかった。
中川は、これが人徳というものかと思った。
通って来た人生のクオリティによって、人は長寿を全うでき、あの世に旅立つときでさえも、娘が涙を流しながらもその衣服を取りに戻ってくれて、故人の思い出がいっぱい詰まった姿で旅立つことができる。そして、告別式を迎える日まで、人に迷惑をかけることなく最後の最後まできれいな体と衣服で旅立つことができるのである。
さらに、病院を出る時には、その病院のほとんどの看護師が見送りに来て、死後処置の終わった遺体にむかって別れと感謝の言葉をかけていったのである。
誰が見ても、うらやましい最期ではないだろうか?
しかし同じ日の午後、救急車で運び込まれてきた大形隆雄(仮名、おおがた たかお)さんは、百恵さんの半分以下の年齢であったが、その結末は悲惨なものだった。
トイレで急死した大男、解剖されて霊安室へ
大形隆雄さんと付けたのは、文字どおり大型な体躯で筋骨隆々だったからである。
身長190センチ、体重110キロ。霊安室に運び込まれてきた長さ2メートルのストレッチャーベッドからは、足がはみ出ていた。このベッドの幅は60センチ、胸囲も相当な太さと厚さだったので、細い女性のウェストぐらいある彼の両腕が、半分くらいが空中にはみ出していた。この金属製のベッドで彼を移動して廊下の角を曲がる時は気を付けないと、横転させてしまうかもしれない。一度彼を床に転落させたら、何人の男性スタッフが必要になるだろうか。外国の特殊部隊にいそうな大男を乗せるには、このベッドを二台横に並べたくらいのサイズが必要だろう。
その大形さんは、今朝急死した。
両親と一緒に住んでいる自宅のトイレに座っている時、突然前のめりに倒れて息絶えた。
何の声も聞こえなかった。電流が止まるように、命が止まり、個室の中で大きな音がして崩れた。
倒れた衝撃で頭部が切れ、血まみれの状態で運び込まれてきたが、死因を特定するために、すぐに警察官と解剖医が病院にやってきて、解剖されることになった。
このシリーズでは、すでに解剖された遺体について何回も描写してきたが、省略するわけにはいかないだろう。
解剖のメスは、彼の喉元から膀胱のあたりまで、1メートルぐらいを一気に切開している。
解剖医が内臓一つ一つを取り出して、重さをはかり記録する。必要な臓器は医学生の教材として提供される。不要な臓器や肉片は元に戻される。戻しても、当然すきまができるので、綿の塊などで調整して、太い糸で荒く縫合される。胸やお腹にできたいびつな凹凸は、上から手でぺたぺたと押して平らに均される。
縫合も、生きている人間の場合は、跡が残らないように丁寧にされるが、死体のそれは、その必要はない。フランケンシュタインの額に、よく荒いまつり縫いの縫合跡があるが、大形さんの場合は、それが胸から腹部に向かって、縦一文字に貫かれているのだ。かといって、脳に死因が推定される場合は、大形さんも頭を割られて、額にまつり縫いができてもおかしくはなかった。しかし、ドクターは、その必要がないと判断したのだろう。大形さんの頭部は、さきほど説明した裂傷以外に損傷はなかった。
しかし、よく見るとイケメンである。俳優スティーブン・セガールの若いころのようだ。夜の街新宿の裏道で、前に立ちはだかれたら逃げようがない。面構えにも迫力がある。険しい眉間にエラの張った顎骨。拳にも喧嘩の跡のような古傷が複数あった。
午前中、彼の悲報を聞いて、黒い車に分乗した男たちが、十数人病院にやってきたということだったが、決して月給をもらってまじめに暮らしている職業には見えなかったということだった。
そういう輩を仲間に持っている彼が、今、全裸で、2枚のタオルケットに挟まれて、小さいストレッチャーベッドに横たわっている。
上にかけられているタオルケットは、全裸を隠すため。下に敷かれたタオルケットは、解剖をしたことによってにじみ出てくる、皮下脂肪の油分を受け止めるためにある。
解剖された遺体は、内臓が放つ独特の匂いが加わる。この霊安室も、今日は別の遺体の死臭が強く残っていた。このような悪臭の立ち込める場所が、中川の職場である。
死後硬直は最高点に達していて、キンキンに固まって関節はびくとも曲がらない。こういう筋肉質の男性の遺体の場合は、特に硬直がひどく、中川は逆に好都合だと思った。それは、体を横に傾けたりするのに、比較的簡単になるからだ。つまり丸太をゴロンと回転させることが楽なように、頭から足まで一本の丸太になってくれるので、「てこ」の原理を使えば、想像以上に扱いやすいのであった。
しかし、この、彼の予想は、もののみごとにはずれることになる。
死んでいるはずなのに動く遺体。家に帰ろうとしている
まず、敷いているタオルケットをはずすところから始める。
中川は、ストレッチャーベットにあおむけに寝ている大形さんの腹部のあたりに立っている。左手側に大形さんの顔、右手側に足がある。
これから中川は、大形さんの体を向こう側に向けて、背中をこちら側に見えるようにしたい。つまり寝返りを打ったようにしたいのだ。
中川は、いつものように体の下に手を入れて、体を回転させようと持ち上げた。
ここからは中川の証言をもとに、淡々と書かなくてはならない。
たぶんこの文章が世に出れば、多くの読者からウケ狙いのでっち上げであろうという批判が寄せられることだろう。
霊安室にビデオカメラはないので証拠映像はない。中川の話だけだ。しかし、これは実際に起きたことだと思う。
大形さんの体を向こう側に起こし、彼の右肩が頂点にきた瞬間だった。右手がぴくっとしたのが見えた。そして、何と太い右腕が腰を離れ、扇形に弧を描き頭上に上がった。もし起立していたら上空を指している格好になった。右手だけの万歳とでも言おうか。彼の体を時計の針に例えたら、長針が6時の方向から急に、9時を通過し12時に移動したのだった。
中川の驚きや恐れの表情の描写をしていると、文字数を要するので省略する。
中川の位置からは、大形さんの脇の下が見える。
この異変に我を失った彼は、狼狽して彼の体を元のあおむけに戻す。
しかし、右腕は12時を指したままだ。中川は、その12時を凝視している。
すると、その12時を指した右腕が下がり始めた。11時…、10時…を通過して、9時で止まった。
中川の視線も、11時…、10時…、そして9時で止まった。
右腕は、中川の左側に突き出されている。その後腕が肘で曲がり始めて、中川の背中を抱くようなかたちになった。
霊安室には二人だけである。
死後硬直は最高点に達していて、指一本でさえも曲がらないはずだ。
まだ、生きていたんだろうか?
ここで、大形さんが急に目を開けて、ニコッと笑ってくれれば、「なんだあ、驚かさないでくださいよ」で済むのであるが、大形さんの体は、喉元から膀胱にかけて一直線に切られている。
第一心臓もないはずだ。いや、あったとしても元の位置になく、静脈や動脈ともつながっていない。
中川は息をのんだ。
さて次は、今度は左手が動き始めた。
左手はゆっくり上空に上がり、へその上空を通過して、突き出した右腕の方に近づいていった。
左腕が右腕に重なるようになるにつれ、上半身も右側にねじれてきて、左肩が上がり始めた。
腰の腰椎筋肉は上半身の中でも最も強固に硬直していて、ひねることは絶対にできないはずだ。しかし、その腰が右側に曲がったのである。
私はインタビューの時、不謹慎ながら死者がラジオ体操を始めたのかと聞いてしまった。そして、頭の中に何か場違いなコミカルなシーンが浮かんできてしまったのである。
♪ラジオ体操お〜第一い〜、用お〜意い! 腕を前から上げて大きく背伸び運動お〜! 1,2,3,4,5,6,7,8!
いやいやだめだ、今そんなことを考えてはいけないと打ち消すが、また浮かんで来てしまう。人間は恐怖を感じると「防衛反応」で不可解な笑いが起きるというが、話を聞いていた私は笑っていた。
「ラジオ体操の通りになったんです。右手が上がったと思ったら下がって来て、次は体がねじれて左手も右の方へ行って、ベッドから降りようとした」という。
幅60センチしかないベッドの上で、ぶっとい両腕がベッドからはみ出して、なおかつ上半身もベッドからずれてくるとどうなるか!
彼の一番恐れていた事態になったわけだ。
「わあ! 落ちるううううう!」
中川はお腹で大形さんの体を止め、両手で転落しそうになる体を捕まえて落ちないようにするのが精いっぱいであった。
「帰るつもりなんですか!」
そう、そうだ! この人は家に帰ろうとしているんだ。
狭い四畳半ほどの密室で、スティーブン・セガールなみの大男がベッドから降りて帰ろうとしているのを、やせ型の中川が一人でそれを止めようとしているシーンを想像してもらいたい。外で待っているご両親が、中でギャーギャー騒いでいる中川の大声を聞いている。もしそこを顔見知りの看護師が通りかかって、「中川さん、何をやっているの」と言って、霊安室の引き戸を開けた日にゃ、帰ろうとしている男性を必死で止めてベッドに戻そうとしているシーンを目撃したはずである。一般病棟だったらそういうシーンがあってもいい。しかしここは霊安室である。
死後処置は本来、静かに行う仕事だ。顔を真っ赤にして大声張り上げて、「帰ってはいけません!」と叫んでいるのを聞いたら、「中川さん、いったい何を一人芝居してるの?」となるはずである。
誰も信じてはくれないだろう。きっと、そのあと遺体を床に転落させてしまい、110キロの巨体をまたベッドに戻すために、病院内の男性スタッフをかき集めるのに、どのくらいの時間がかかることだろうか。遺体は生前に計った体重よりさらに重くなる上に、皮下脂肪の油でぬるぬるとした体を、病院の男性職員だって、遺体を引き取りに来た葬儀社のスタッフだって触りたくはないだろう。
しかし、ともあれ中川は帰ろうとする大形さんの体を、何とか阻止してベッドに戻すことに成功した。
中川は大きなため息をついて、霊安室の床に座り込んだ。肩を上下に動かし呼吸を整えるしかなかった。
でも、これは第1ラウンドにしか過ぎなかったのだ。
数分間の休憩ののち、第2ラウンドが始まったのである。
「死に装束は着たくねえ!」 今度は全く動かない!
「カーン!」(ゴングの音)
第2ラウンド、大形さんは、「死に装束は絶対着ねえぞ作戦」に打って出たのである。
処置も最後の段階に入って着物を着せるところまできた。
遺体に着物を着せるには、ちょっとしたコツが要る。たとえば右手を袖に通してから、着物自体を遺体の背中の下をくぐらせて、反対側の左側に押し出す必要がある。そのためには、背中、臀部、足という順番で、体の部位を少しずつ浮かして、そのすきまから反対側へスライドさせなくてはならない。
しかし、その背中が1センチも浮かなくなってしまったのである。確かに右手に袖を通すことはできた。しかし、着物を束状にして背中の下にできる限り押し込んで、ベッドの反対側にまわって、首の下あたりからポリエステル製の生地をすこしずつ横断させようとしたが、体がなんとも動かない。
そうしたら、案の定、反対側から引っ張る時、着物が破れてしまった。
数センチの破れかと思ったら、40センチ以上一気に破れていたのである。
これはもう、その作戦が着実に実行されている証拠だ。
中川は、替えの新しい着物を車に取りに行ったとき、もうこれは言って聞かせるしかないと悟った。
ふたたび霊安室に入る。
第1ラウンドの時??大形さんが帰ろうとした時、中川はある強力な力が働いているのを感じていた。
誰かが、向こう側から押している!
次の第2ラウンドは、上から遺体を押さえつけて、着物を着させまいとする力を感じた。それどころか、中川の着物を引っ張るのに合わせて、その力を利用して着物を一気に破ってしまったのである。
中川は、新しい着物を持ったまま、大形さんの脇に立っていた。
まなざしを大形さんの死に顔に向けて、言った。
「大形さん。あなたは今日トイレに行ったところまでは覚えていると思うけど、今あなたはトイレにいるわけじゃないんだ。
そのあと、そのトイレで急に死んでしまったんですよ。そしてご両親が救急車を呼んで、この病院まで来たけれど、もうここは霊安室で、お葬式の準備をしているんです。
ご両親が外の廊下で待っているのを見て分かるでしょう? もうあなたは死んじゃったんです。原因はわかりません。ドクターがあなたの体を解剖して、内臓も全部調べたんですが、
分からないんですよ。残念な気持ちは分かります。こんなところから出て、家に帰りたいのは分かります。
こんな縁起でもない着物を左前に着ることもしたくない。分かります。でもね、あなたは死んじゃったんですよ。やり残したこともあるでしょう?
誰かに何かを伝えたいこともあるでしょう? でももう何もできないんですよ。ですから申し訳ない、諦めて下さい。認めて下さいよ。
みんな安心して満足して死んでゆく人なんて少ないんですよ。みんな、残念で諦めきれないまま死んで行ってしまっているんです。気持ちはわかります。でもね、もうそうなっちゃたんですよ」
中川は、そう言いながら、午前中の場張百恵さんの安らかな姿、涙ながらに高級スーツを着せてあげて欲しいと懇願する娘さんの姿を思い出していた。
そう、たしかにそういう死に方の人は少ないんだ。
中川は、少しの間、右手を大形さんの胸の上に置いて、さすってあげていた。こんなことをしても何になるのか分からない。しかし、この人の気持ちを少しでも落ち着かせるためか、数分間そうしていた。
そして、「大形さん…」。
自然にまた口から言葉が出ていた。
「まだ若いのに何でこんな死に方をしたんですか? 頭から血を流して胸からお腹まで刃物で切られて。今朝、私が会った百歳のおばあちゃんは本当におだやかなお顔でしたよ。 もっとおだやかに生きることはできなかったのかなあと思いますよ。こんなに険しい顔をして」と、太い糸で縫われて、まだ起伏が残っている胸をさすりながら言った。
自分がこのような立場になったらどうするだろう。やっぱり家に帰ろうとするのではないか。そのとき、ボクはこの体が必要になる。この体に乗ってしか帰れないから。
だから、大形さんが、あのようにこの体を動かしたのは、当たり前のことではないかと思えてきた。
◆
ほどなくして、中川は大形さんの背中に手を入れて、持ち上げてみた。
「あ! 浮いた!」
さきほどまで続いていた上側からの見えない力は消えていた。体を少し浮かすことができた。
「ありがとう、大形さん。分かってくれたんだ!」
何で自分が礼を言わなければならないか分からなかったが、とくかく死を認めて、受け入れてくれた証拠が、そこにあったのである。
息子に駆け寄らない母親。人の仕事にケチを付ける
大形さんの死後処置が終わったので、外の廊下で待っているご両親に報告した。すでに葬儀社のスタッフもその傍らで待機していた。
葬儀社のスタッフが先に部屋に入ろうとしたので、中川はそれを手で制して止めた。
遺族が先に入るのが礼儀であろう。
霊安室は四畳半の個室で、引き戸になっている。
たぶん異様な匂いのためだと、中川は信じたい。
素人さんには、生涯に一度も嗅いだことのない匂いに違いない。
腐敗臭、血液の匂い、解剖死体独特の内臓の匂い。これらブレンドされた匂いを、文字にすることはできない。
だから、ご両親はこれが耐えられなかったのだろうと思いたい。
それは、ご両親の立ち位置を説明するには、これを言い訳にしなくてはいけないと思ったからだ。ご両親は廊下から、一歩も霊安室に入ってこなかったのである。
廊下から遺体のある場所まで5メートルしか距離がなかったが、この5メートルが縮まることはなかった。
それどころか、息子の姿を遠目に一瞥した母親の第一声が、これだった。
「唇に、何か白いの、付いてない?」
(お金払っているんだからちゃんとやってよ)とは言わなかったが、彼女の眼には、息子の唇に何かゴミでも残っているように見えたのだろう。
ご両親が見た最期の息子の姿は、口を大きく開けて、頭から流れた血で真っ赤になった顔であった。それが、いま生前と何ら変わることのない、生きているような顔になっているのに、それをそばに行って見ることもしなかったのである。
冒頭、死者の姿に、「その霊魂の通って来た道・・・いわば生き方が現れ出る」と書いたが、今日出会った二人の生き方を、それぞれの家族が代わりに身に表わしているんだと思った。
場張百恵さんの人生は、きっと人のために汗を流し涙を流し、大切なものを走って取りに帰った娘さんの姿と同じ。そして、その行為を決して人に押し付けない。
一方、大形隆雄さんは、人が苦労して仕上げた仕事に感謝もせず、遠くから眺めてケチをつける。奇しくも母親がさきほど代弁したような態度で生きてきたに違いない。
おだやかな最期を迎えるために、人間どちらの生き方を選ぶべきか。
そういうことを考えさせられた、忙しい一日であった。
(文 コバヤシ カミュ)
(これは、中川氏へのインタビューをもとに、コバヤシ カミュが物語風に書いたものです)
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