「私です」
「実は私なんです」
「ほら、あの時の私ですよ」
「また、お世話なります」
「この前はたいへんお手数をおかけしました」
「ほら、あの時の事故ですよ」
「あの私ですよ」
中川は、休憩を取った。
分かっている。
でも、なぜ仕事をしているときに、関係ない人の音声と映像が脳裏に再生されてくるのだろうか。
頭を左右に振ったり、深呼吸したり軽いストレッチをしてもだめだった。
「私です」
「ほら、私ですよ」・・・
分かっていますよ。
中川がこの仕事を始めたのは今から約15年前。まだ初心者の頃に出会った事故死した中年の男性の遺体を思い出していた。
そう、誰がつぶやいているのかは分かっている。
この人だ。
まだ初心者のころの、ダンプカーに轢かれて頭が割れて担ぎ込まれてきた遺体を忘れるはずはない。
すでに現場で心肺停止状態だったので救急車もサイレンを消して搬送してきた。
当時は、119番通報があると、死んでいることがわかっていても病院に搬送することが定められていたようだった。
その時に待機していたのが中川だった。
その時、はじめて中川は人間の脳みそを見た。
うわ、この頭どうなっているんだ。
歳のころは50歳ぐらいのサラリーマン風の男で、酩酊していたようだ。
酒と、血と、オイルと、タイヤのゴムの匂いがした。
なぜ15年も前の処置した中年男性の顔が、半透明の画像になって小学生A君の顔と重なり、彼の声が耳元で聞こえてくるのか
うん? 「私です」ってどういう意味だ。
また、その時また聞こえてきた。
「この子、私なんです」
え? 同じ人という意味か?
また、お世話になります、とはそういう意味?
え? あの十五年前のあの人の生まれ変わり?
中川は、やっとそれに気づいたのだった。
ダンプカーに轢かれて頭が割れて、脳みそが・・・
事故死したこの中年男性をZさんとする。
(中川にとって最後のアルファベット『Z』は死で、生まれ変わって『A』になるという。
彼にはそういうサイクルの概念があるらしい。だからA君の前世の名はZさんとなる訳だ)
約15年前にさかのぼる。はっきりした年月日は記録していないが、夜だった。
とにかく、まだ経験がなくて困惑したのでよく覚えている。
穏やかに亡くなった遺体であったら、それなりに処置できるようになってきていた。
しかし、そこに静かに救急車が穏やかならぬ遺体を搬送してきたのである。
Zさんの奥さんと娘さんが病院に駆け付けた。しかし病院は、警察の検視や中川の死後処置が済むまで、遺体に会わせることはしない。
夫の死という現実的な不幸が実存する中、奥さんは警察官の質問を受けることになる。事件性の有無を調べる質問である。
夫婦関係やここ数日の出来事や会話の詳細を、正式な記入用紙に記載してゆくのである。
一方、検視官は遺体をことこまかに検分し、詳細な報告書を作る。
だから、中川の処置が始まる段階には夜が明け、母子は不眠と神経疲れの極致に達していた。
中川が霊安室で処置を始めるには、同じように遺体の観察から始まる。
検視が入ったのでZさんは全裸で、病院のタオルケットが首まで掛けられている。
露出している頭部だけでも、すさまじい形相である。
酩酊して自転車を運転していて、交差点で左折するダンプカーの内輪差に轢かれた。
まず、遺体の状況は、頭部の損傷がひどい。いわゆる頭がかち割れて、脳みそがでてしまっている。体の方も傷だらけだった。
頭部は、たぶん引きずられた上に、縁石と後輪に挟まれて割れたのだろう。両側面にそれが当たったような跡があった。
コンクリートやタイヤのくずなどが付着していて、頭皮と頭蓋骨が剥離している。指で頭皮を引っ張ったら、ずる剥けして頭蓋骨が現れてしまうだろう。
初めて見た脳みそは、白色と紫色が混ざり、それに血の赤がまばらに散っている感じだった。
ショックだった。
その頃は、怖くてまじまじと見る勇気はなかった。「うわ!」と叫んで目をそらしたものだ。
何とか包帯などで頭の形が崩れないようにして、頭皮をもとの場所に戻したり、血が混じって大型タイヤによってできた寝ぐせのような頭髪を、整えたりするしかなかった。
体の方は、両腕と片方の足に傷が集中していて、足は太ももの部分で折れていた。傷が多すぎてどこから出血しているか分からない部分もあった。
しかし、出血する可能性のある傷はすべて処置する必要があった。
顔も顎が砕けてしまい、一方の顎関節ははずれていた。顔は三日月型に湾曲して、口がぶらぶらしていた。
酒を飲んでいるので、出血が通常よりも多い。もう血液は循環していないのに。
「お父さん。なんでこんな姿になっちゃったの?」
この頃から中川の話しかける習慣が始まっていたと言ってよい。
「こんな姿をあの娘さんに見せちゃだめでしょう?
これからだと言うのに、何でこんな姿になってしまったんですか?
かける言葉がないですよ。奥さんと娘さんに会えるような姿にはしますけれど、痛いなんてもんじゃなかったでしょう?
娘さんが生きている間に、せめて早く生まれ変わってきて、この世界のどこかで同じ空気を吸えるようになればいいんじゃないですか。
生まれ変わりがあればの話ですけど。
そして、今度生まれ変わってきたら、もう僕にこんなことをさせないでくださいね」
と、中川はそんなことを言ったような記憶がある。
しかし、「こんなこと」を、Zさんは中川に再びさせることになったのである。
来世こそ天寿を全うして、穏やかな最期を迎えられる人生を
Zさんが事故で死んだのが2007年か8年。A君が生まれたのが2012年か2013年。中川が言ったことを忠実に守ったように、Zさんは4〜5年で生まれ変わって来たことになる。
同じ家族に生まれてきたのだろうか。
中川は、確かめたわけではないが、違うと思うと言った。
ZさんとA君の親族は同一人物ではないし、違う苗字だったように思う。しかし、同じ県に生まれ変わって来たことは確かだ。
彼の2回の死は、悲しいことであるが、中川の心の中には、なにか特殊な感情が生まれてきていた。それは、内面から湧き上がってくるものだった。
生まれ変わりって・・・、本当にあるんだ・・・。
一般の人々が生まれ変わりがあると言う場合は、たとえば、誰かがそう言っていたとか、こういう本に書いてあったということが根拠になることが多いと思う。
しかし、彼の場合は違う。彼の内面の体験によって知ったものだった。
彼は、もう一度、この状況を整理してみた。
A君は、律儀にも自分に挨拶に来た。そして、「また、お世話になります」という言葉を確かに使った。いままで、多くの死者が挨拶に来たが、「また」という言葉を加えた人は、A君だけだった。
また、A君を処置しているときに、Zさんの声や映像が突然脳裏に伝わって来て、自分としては不謹慎だからと何度も否定したり打ち消したりしたのに、ついぞそれは自分の脳裏から離れなかった。
ああ、A君はZさんの生まれ変わりなのかと、驚愕のもとに悟った瞬間、Zさんの声と映像は消滅した。それっきりなくなった。あたかも、Zさん(A君)が「ああ、気づいてくれて良かった」と安堵して、あの世に旅立ってしまったかのようだ。
こんなことは不用意に誰にでも言えることではない。家族にも言ったことはない。この前、ラジオで言ったら特殊な能力を持った人だと思われてしまった。
しかし、彼は、人間に生まれ変わりがあることを、この日知ったのである。誰にも言えないが、Zさん(A君)が教えてくれたのだ。
中川は、A君の顔を拭きながら思わず言った。
「そうだったんですか。だから、またお世話になりますって言ったんですね。律儀ですね。
僕にもリピーターができたっていうことじゃないですか(少し笑)。
でも、前にも言いましたけど、僕にまたこんなことをさせちゃあだめですよ。せっかく早く生まれ変わってきたのに、なんで11歳で死んじゃったんですか?
この前も奥さんと娘さんを泣かせて、今回もご両親とおじいちゃん達を悲しませることになったんですよ。あなたっていう人は、本当に親不孝な人だと思う。
でもね、生まれ変わりがあるっていうことが、これでよくわかりました。だから来世こそ、長生きしなきゃだめだ。
そして、死ぬときは穏やかに天寿を全うしてね、
痛みも苦しみもなく死んでゆけるような最期を迎えなきゃだめですよ。それだったら、また僕のところに来てくださいよ」
処置が終わったので、廊下で待っていた3人の親族を招き入れた。
父親は、依然として冷静な表情をしていたが、中川が再現した少年っぽい元の顔を見たら、唇がわなわなと震えてきて、
もはや嗚咽を抑えようとすることはしなかった。少年の胸に顔をうずめて男泣きに泣いた。祖父母も自分の息子の泣く姿を見て、ともに泣いた。
死後処置のあとの家族との再会シーンは、いつも、こういう修羅場である。しかし、この日だけはちょっと違った。思わずこう話しかけてしまいそうになった。
「お父さんね。実は、僕は、前世のA君に会っているんです。4〜5年で生まれ変わって来ていたんですよ。
だから今は悲しいかもしれませんが、またどこかの家庭に生まれ変わって来るんです。
でも、その時は顔と名前が違いますから、道ですれ違っても分からないかも知れませんけどね。
でも、これってすごいことじゃないですか? A君は、何度も何度もこの世に生まれて来て、ずーっと、ずーっと生きて行けるっていうことなんですからね!」
不謹慎ながら、泣きわめく3人のそばで、彼は少し得意げな顔になっていたと思う。
おい、お前、今から中川さん家に行って挨拶して来い
さて、最後にここで、筆者の胸に浮かんだ野暮な質問を、中川さんにしなくてはならない。
私はどうも理屈っぽくてだめだ。
「あのね、亡くなった人が挨拶に中川さんのところに行くのはいいんだけれど、
何で中川さんのところに行くの?
だってそもそも中川さんという人を知らないし、自分を処置してくれる人が中川さんになることも知らない。
ほかのスタッフやほかの会社になる可能性だってあるわけでしょう?」
「そうなんですよ。僕も何でだろうと思っていました」と彼も同意した。
「でも、ある看護師の人が言っていたんですけど」と前置きをして彼が言うには、死期が近い患者さんがいると、
その人のご先祖さんたちがその病室に集まって会議をするという。
この子孫はもうこっち(あの世)へ来るから、誰に看取ってもらおうかと、面倒見のいい看護師の選考会議をするそうだ。
そうするとあのB子さんが来週火曜日の夜が当直だから、この日の夜にしようと決まるとのことである。
このことは全国的、いや世界的に「看護師あるある」らしく、そのような選考会議に選ばれる看護師を「引きがいい」と言うらしい。
この形容詞の用例は、たとえば、彼女が当直に入る夜、看護師仲間に次のようにささやかれる。
「今夜は引きがいいB子さんだから、たぶん〇〇号室のCさんの番ね」
これは、看護師に限らず死後処置担当にも当てはまることらしい。
あの中川さんに頼もう。じゃあこの日だ、と。
だから、死んだばかりの子孫に向かって先祖が、「おい、お前、今から中川さんのうちに行って挨拶してこい」となるのである。
先祖さんたちも、かわいい子孫のために、昼夜気を揉んでいるのである。
この世もあの世も、親子の情愛に変わりはない。
(文 コバヤシ カミュ)
(これは、中川氏へのインタビューをもとに、コバヤシ カミュが物語風に書いたものです)