中川十のANZELたちの羽音(はおと)

 
トップページ    処置室の日常   プロフィール   講演テーマ   お問合せ先
 
  



















 

  遺体処置室の日常 連載C

遺体処置室の日常 連載C
 五月は自殺者の大きな波がやってくる   
 
 「何で命を無駄にするんだ」と叱る毎日  
 
 包帯ぐるぐる巻きの女性が本当に私の娘? 

音声で聞く 前半              音声で聞く 後半
       


「このアホ野郎! 何がきれいに死ねるだと?」

中川 十(なかがわ みつる)の仕事には、曜日の区別はない。もう二十年も日曜日はない。
 
その理由は、始業は、病院や警察、行政関係などからの緊急連絡から始まるからである。
 
したがって、たまたま日曜日なので朝からゆっくりしていることはあっても、
 
緊急連絡の電話一本で飛び出してゆく。

月曜日の朝、徹夜明けで帰宅しても、また緊急連絡が入って出動することもある。
 
もうすぐゴールデンウィークだが、緊急連絡にゴールデンウィークという休みはない。
 
いや、違う。ゴールデンウィークこそ「大きな波」が来る始まりなのである。

その波とは何か。自殺者の大波である。

得てして、自殺者が増えるのは年に二回あるという。中川の感じるところでは。

一つ目は、十二月のクリスマスごろから二十八日まで。
 
正確に言うと、二十八日の午後九時まで。そして年が明けて一月四日からまた始まる。

この期間は何かと思ったら、金融機関の年末年始の休業期間であった。
 
午後九時は債権回収担当者の帰宅時間なのである。

その時間から取り立ての連絡が日本全国で止まるので、追い込まれている人々は
 
年明けの仕事始めの前日三日までは、平和に生き延びることができる。

現代はさすがに、無理な借金取りの取り立ては少なくなったが、ひと昔前は惨憺たるものだった。
 
ほとんどが中高年の男性で、借金苦が原因だった。

そして、二つ目の波が、この五月である。

四月は、入学や入社など新しい環境に入る人が増える。
 
そこになにか問題があっても、一ケ月ぐらいは何とか我慢して耐えているようだが、
 
五月に入ると自殺者が爆発的に増加し、通常の月の数倍に達する。

今度は、精神的な悩みを抱えた若者や働き盛りの壮年層が増えてくる。
 
特にコロナ禍のこの二年間はそれが顕著だった。
 
中川に、自殺にまつわる非日常的な話を聞いていると、こちらもだんだん何かが麻痺してくる。
 
不謹慎だが、自殺の「人気第一位は何か?」と言ってしまった。
 
「ツートップは練炭自殺首吊りでしょう」。

ツートップとは、一位と二位が競い合っている状態という意味らしい。
 
「私は、世の中に言いたいことがあるんです!」
 
と、中川はおもむろに宣言した。

「この前、テレビを見ていたら、ある評論家が、一番きれいに楽に死ねる
 
 自殺の方法は練炭自殺だと言っていた。このアホ野郎!って言ってやりましたよ。」
 
いつもはにこやかに話す中川だが、この時ばかりは違った。

なぜ、そういう間違った噂が広まったかというと、
 
そこには、さもあらんと考えられる理由があるという。

練炭自殺をするには、たとえば車などの狭い空間の中に、七輪を助手席の
 
床に置き、そこで練炭に火をつける。

死因は、一酸化炭素中毒なので、目に見えない手で首を絞められるのと同じ。
 
苦しみは極限まで達する。

「そんなに苦しいんだったら、ドアを開けて逃げればいいのに」
と私は愚問をしてしまった。

「死にたいんだからそんなことするわけないじゃないですか」
とあきれて言われた。

車内には、白目を剥きもがき苦しんで、悶絶している自殺者がいる。
 
しかし、まだ死後発見が早ければ、遺体の硬直が解けてくる時間になると、
 
まだ皮膚がしっかりしているので、葬儀社はまぶたを閉じてあげたり、
 
化粧をしておだやかな表情にすることができる。

告別式に集まった参列者が、棺の窓を覗き込んで故人のやすらかな顔を見ると、
 
美しい死に顔だったという評価を下すのである。

これが世に広まった原因ではないかと中川は言う。

しかし、実際にはもっと悲惨な状態になることが多い。
 
車内がサウナ風呂以上の高温になるので、熱湯をかけられたようにやけどみたいな
 
火ぶくれ状態になる。苦しむので頭部がうっ血状態になり、血液が頭部に集まる。

死後、その血液が重力で下に下がると、顔面に残った血液と、下に移動した血液があった部分とで、
 
ツートーンカラーの迷彩色になったり、さらに栄養分たっぷりの血液には緑膿菌が繁殖したりする。
 
グロテスクな緑色が肌から透けて見えてくる。


またご丁寧に、排気ガスをホースで車内に流し込むと、もうとっくに死んでいるのに、
 
練炭が燃え尽きガス欠になるまでその状態が持続するので、発見されたときには、遺体に
 
排気ガスの粉末が降りそそぎ、赤・緑・黒の三色のまだら模様になっていることがあるという。

高温で腐敗が必要以上に進み、もはや手がつけられない。
 
この悲惨な状況を、評論家は知る由もない。
 



首に巻いたロープをベランダの欄干に縛りつけて、二階からダイブ!


さて、もうひとつの第一位は、首吊りである。

「同じ首吊りでも、思い切ったやり方をした若い女性がいました」と始まる。
 
交通が頻繁な道路沿いの一戸建て住宅に住んでいた女性のケースである。
 
朝早く、彼女は自分の首に回したロープの先端を、二階のベランダの
 
アルミ製の欄干に結び付け、勢いよくダイビングした。

遺体は多くの車と歩行者が行き交う道路から丸見えの状態でぶらさがった。
 
多くの第一発見者たちが騒ぎ出したので、母親がなにごとかと表へ出て、
 
二階を見上げたら、首吊りをした我が娘の足の裏が見えたということである。

ファッションモデル並みの美しい三十歳代の娘は、失恋したあと実家に帰ってきていた。
 
その十日後に自殺したのである。 麻痺してきたついでにいろいろ聞いてみる。

Q.そういう時って首の骨が折れるから即死?
 
A. いや、首吊りはたくさん処置したけど、首の骨が折れた人はいなかったと思う。
  みんな単純に窒息死ですね。

Q. いくら、ベランダから勢いよく飛び降りても、ある程度の時間は生きているということ?
 
A. そんな一瞬で死ねるほど甘くはないですよね。ロープが頸動脈に食い込むとどのくらいで
  死ぬんですかって聞いたことあるんですが、気を失うまで何分間はかかるのではないかって。
  それまでは苦しんでいるでしょうね。実行してから後悔したのか、
  もがきながらロープをはずそうとして首に爪の痕がある遺体もあります。

Q. 首吊りは、失禁や脱糞したり、体の穴という穴から出血するっていうのは本当?
 
A. よく質問を受けるけど、失禁はあるかもしれないけど、一度も見たことはない。

Q. 死後、どんな感じになるの?
 
A. 発見が早ければ病院に運ばれてからの処置になるので、家族に会えるように何とかします。
  首についたロープ跡を見えなくすれば、おだやかな最期の顔になるけど、
  死後だいぶ時間が経ったり、悲惨な状態で発見されて警察に引き取られた人は、
  もうどうしようもない。もう叱るだけですよ。

Q. 叱る?
 
A. なんで命を無駄にするんだって、つい怒ってしまうんです。


その叱った一例が次のケースである。



頭がお供え餅みたいに平べったくなっていた


或る年のゴールデンウィークに、中川は何年かぶりに家族で日帰り旅行に行こうとしたら、
 
緊急連絡が入った。家族の白い目を背中に受けながら警察署の霊安室に行った。轢死体だった。

まだ二十歳代前半の若い女性だった。いや、実際には分からない。
 
なぜかと言うと、ミイラのように、本当に頭の先から足の指先まで、包帯で
 
ぐるぐる巻きにされていたからだ。書類に記入してあるのをそのまま信じた。

今朝五時ごろ、始発電車に飛び込んだそうだ。所持品から身元が割れ、隣の県から
 
来ていたことが分かった。遺体確認に叔父が来ていたが、どうやって姪と断定したのだろう。
 
背丈がこのくらいだったということぐらいではないか。

彼女は(A子さんとしておこう)発見後、大学病院の司法解剖施設に運ばれた。
 
先に警察の霊安室に運んでこられても、ここには何もない。四人分の冷蔵庫とステンレス製
 
の死体を寝かせるテーブルがあるだけで、包帯を巻くことを縫合もろくにできないのである。

病院の看護師が包帯を何本も使って、遺体はぐるぐる巻きにされたあと、ここに移された。
 
轢死体は現場で大量の出血をするし、また司法解剖で内臓を一つ一つ取り出して秤で
 
測ったあとは、事件性がなければ処分されるので、血液のほとんどはなくなる。

従って、包帯にあまり血のにじんだ跡はなかった。
 
幸いにも電車の車輪で切断されることもなく、四肢はついている。

しかし、頭部の損傷は大変なものだと伺えた。
 
なにしろ円形ではく、お正月のお供え餅みたいな平べったくなっていたのだ。

後頭部を電車が直撃したのか、顔を上に向けて寝ていると、
 
お供え餅がそのまま一枚神棚にお供えしてある感じだった。
 
頭蓋骨も顔も複雑骨折、全身の骨という骨もみな砕けて、傷は無数に負っていることだろう。

中川は、遺体搬送の依頼を受けて、ここに呼ばれたのである。
 
遺体を中川所有の霊柩搬送車に乗せて、遺体の横に叔父さんが座って、A子の自宅のある県に向かった。

車は前号でも書いたように、白い普通のワンボックスカーだが、緑ナンバーで窓には
 
真っ黒なシールで車内が見えないようになっており、運転手の中川は白衣を着ている。
 
よく見れば深刻な雰囲気に気づくはずだ。

行く道々、中川は刑事から聞いた昨日から今朝までの状況を思い出していた。
 
A子は、昨日「行ってきます」と言って家を出た。

この時すでに自殺するつもりで家を出たのかは分からない。
 
なんのつてもないこの県に電車を乗り継いで事故現場のB町まで来た。
 
自殺現場はB町の駅、南側約一キロメートルの線路上である。

刑事によると、「明け方線路の横を歩いていて、電車に引っかかって巻き込まれた感じなんだよね。
 
体の右側半分の損傷がひどいんだ。だから、電車の真正面に立っていたのではなく、通り過ぎる
 
電車のすぐそばに立っていたのだろう」。


その上、今朝は濃霧だったので、始発の電車の運転手は、すぐそばに来るまでA子に気づかなかった。
 
電車はそのままのスピードでA子を轢いた。

A子は電車の方を向いていたのか、それとも背中を向けていたのか?
 
では、一晩中線路の横を歩いていたというのか? 

深夜十二時半ごろの終電から、午前五時の始発までの四時間半、A子は、何をしていたのか?
 
自分は刑事ではないので、そんなことまで考える必要はない。今回は遺体搬送が仕事なので、
 
自宅に届ければそれでいいのだ。

中川は余計なことを考えるのはやめた


これが私の娘? 違う。 きっと「ただいま」と言って帰ってくる!

車は、午後二時頃自宅に着いた。
 
よくある新興住宅地の一角で、七十坪ほどの敷地の戸建て住宅で、
 
隣家と同じように車一台分の駐車場がついていた。

問題は、どうやって遺体を家の中に運び込むかだった。玄関からは担架が大きすぎて無理だ。
 
結局、駐車場にバックで車半分だけ入れて、後ろのハッチバックを開けて、
 
すぐそばのリビングルームに運び込むしか方法はないことが分かった。

すでに家には親族らしい人々が六、七人いた。
 
ハッチバックを開けて、担架の一方の柄を親族の男性に持ってもらった。
 
ほかの親族は、玄関にあった傘を何本も広げたり、風呂場からシャッター式の
 
プラスチック製のふたを持って来た人もいた。

たった二メートルほどの距離だったが、よくテレビで警察がブルーシートで隠しながら
 
移動するように、親族らが、隣近所から遺体が見えないように団体移動をした。

包帯で巻かれた白い物体が、リビングルームに敷かれた布団に寝かされた。
 
朝方、〇〇県警からの恐ろしい第一報や、遺体確認に行った叔父からの報告が入っていて、
 
ソファやテーブルをどけて布団は敷いておいたが、この白い物体は想像以上のものであったろう。

中川も仕事柄、現場はいつも修羅場だが、これほど異様な現場はない。
 
なにしろ人間の体という感じがしないのだ。失礼だが大型の家畜の死体を、
 
だれかがふざけて白い包帯を巻いて届けたという感じだろうか。

これがうちの娘? 
 
誰かほかの死体が間違って運ばれたのではないか。        
 
うちの娘は、今にも「ただいま」と言って帰って来るのではないか!
 
それでも、母親らしき女性は、「A子ちゃん!」と叫んで、覆いかぶさって泣いた。
 
そばにいた女性の親族は、母親の肩に手をかけた。

中川は、その場に父親がいたのかあまり印象がない。
 
別の部屋に引っ込んで、出てこなかったのかもしれない。

中川の仕事はここまでである。
 
お線香とかドライアイスは、お近くの葬儀屋さんに用意してもらってくださいね、

あ、それから娘さんの頭には触らないでくださいね、ここまで〇〇キロですので、
 
いくらですとお金をもらって帰ってしまえばそれでいいのだった。

しかし、ここで中川の「悪い癖」が出る。
 
「お母さん、あのお、ちょっとご相談なんですけど」と言ってしまった。

次に続く彼の提案の内容はこうだった。一時間ほどもらえれば、顔にもし無事な部分が
 
あれば出して、娘さんかどうか確認してもらったり、娘さんの手も握りたいでしょうから、
 
たとえ指の一本でも残っていれば出して、握ってあげたほうがよろしいのではないでしょうか。

私は病院でそういう仕事を専門にしている者で、このまま葬儀社さんが来たら、
 
多分すぐに棺にいれて密封されて荼毘に付されてしまうと思います。

私も長く葬儀社にいたから分かります。そうなったら一生疑念と後悔を
 
抱きながら生きていかなくてはならないのではないでしょうか、

もちろん無償です、という趣旨のことを話した。
 
六、七人の親族の雰囲気が変わった。

母親は「そんなことしてくれるんですか?」と正座している中川を見上げた。
 
母親は、中川の膝に顔を寄せて、泣きながらよろしくお願いしますと懇願した。

疑念は本当にあったのだろう。この変わり果てた姿を自分の娘と認めるには、
 
それなりの確証が必要だったと思う。

こんな姿になって帰ってきて。ちゃんと親に謝りなさい

中川は、親族全員を別室にはずしてもらい、A子と二人っきりになった。
 
車から道具を持って来た。処置が始まった。まず顔の損傷を確認したかった。

包帯を切って頭から外してゆくことは不可能だった。
 
後頭部の複雑骨折がどうなっているかわからなかったし、
 
血液や脳漿が残っていて流れ出してくるかも知れなかった。

そのため、窓のブラインドシャッターをめくって部屋の外を見るように、
 
巻かれている包帯を一本ずつずらして顔の状態をみた。

A子の血で汚れた皮膚の一部や、電車の鋼鉄部分に叩かれて肉がひっくり返った痛々しい傷が見えた。
 
顔の右側はぐちゃぐちゃになっていてだめだった。そもそも顔の右側には皮膚がなかった。
 
鼻がかろうじて残っていた。見せてもらった写真の顔と似ているといえば似ている。

顔の左側はどうであろうか。目と眉毛は大丈夫だ。
 
しかし、顔の下側は見せられる状態ではかった。

そこで、包帯のすきまを広げて鼻と左の目と眉を露出させた。
 
年頃の女の子らしいアイシャドーを使って、きれいに化粧をしておしゃれにしてあげた。

では次は、指である。
 
片手だけでもいいから使えそうな指がないか探した。

右手はだめだった。電車の下部に巻き込まれたか引きずられた時、
 
利き腕の右手で電車の鋼鉄部分との激突から守ろうとしたのだろう。
 
左手の親指はなくなっていが、四本の指は大丈夫だった。

しかし、爪が剥離してなかったので、付け爪があるか母親に聞いたら「ない」というので、
 
特殊な接着剤でコーティングして爪みたいなものを作ってあげた。
 
これでお母さんと手を握れる。

終わりに近づいてきたとき、何かむかむかしてきて、中川はA子を叱り始めていた。
 
A子の耳がそばにある。

「A子ちゃん。何でこんな姿になって帰って来たの?  昨日は結局死ねなかったんでしょう?
 
最終電車をやりすごしてしまって、次に死ねるのは始発電車しかない。
 
一晩中、線路わきを歩いていたの? 何を考えて歩いていたの? 刑事さんが言ってたよ。電車の
 
真正面に向かって飛び込んだんじゃなくて、体の片側がたまたま引っかかってしまったんでしょう?

だから本当は死ぬ気じゃなかったんだ。でも、いまさら自殺をやめられなくて、
 
中途半端なところに立ってたんでしょう?。
 
ご希望通り死ねていかがですか? 
 
予想していたのと大分違うんじゃないの? 


もし、電車が体に当たっていなかったら、君は今日生きていたんだよ。
 
だったら生きていれば良かったじゃないか! さっきのお母さんの姿を見ただろう?
 
僕に土下座したんだよ。なんであんな恰好をさせるんだよ。

お母さんがお腹を痛めて産んで、せっかくもらった命を無駄にして! 
 
家族で何があったか知らないけれど、お父さんは部屋から出てこないし。
 
君に何の悩みがあったか僕には関係ないけど、ご両親の悲しみが君にわかるかい? 

ちゃんと両親に謝りなさい!         
 
こんな姿になって帰ってきて、ごめんなさいと。


そしてもしそっちに神様がいたら、早く生まれ変わってくるようにお願いするんだ。
 
どこかの空の下にまた産んでもらって。でも、今度は長生きするんだ!
 いいね! 分かったね?」


こういう仕事を長くやっていて、年間数百体の遺体の処置をしていると、
 
遺体を包んでいる個別の雰囲気の違いが分かるようになってくるという。

天寿を全うし大往生したというような方は、遺体の中に何も残っていない。立つ鳥跡を濁さず。
 
借りていたアパートをきれいにクリーニングして退去したあとのすがすがしさに似ているという。


しかし、その逆もある。部屋に居座って何か不満や文句を言って迷惑をかける人と同じように。
 
特に自殺した人はそれが強く感じるという。だから、まだ体の中に居座っているんだと思う。


このあと中川は、母親と親族に処置が終わったことを告げた上で、A子を厳しく叱ったことを詫びた。
 
母親はそれを聞いて、しみじみとそこまで言っていただいて、ありがとうございますと言った。
 
そして、A子に対面した。母親と親族は、鼻の形を見てA子に間違いないと異口同音に叫んだ。

不思議にみんな笑顔になっていた。母親は包帯から出た四本の指をいつまでも握って、泣いていた。
 
父親も、親族の男性に付き添われて、二階の部屋から出てリビングルームに降りてきた。
 
帰り際、中川にありがとうございますと言って、深く頭を下げた。

中川はその夜、家に帰った。家族はすでに日帰り旅行から帰ってきていた。彼は家族に詫びた。
 
しかし、翌朝また緊急連絡が入った。自殺だという。

五月の大きな波が今年も始まったようだった。
 


(文:コバヤシカミュ)
(この文章は事実をもとに再構成しています)

連載B


Copyright © 2022 ANZELたちの羽音(はおと) All rights reserved.
by さがみWebラボ