中川十のANZELたちの羽音(はおと)

 
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  遺体処置室の日常 連載J クリスマスプレゼントは棺の中の彼に 

音声で聞く
 
クリスマスプレゼントは棺の中の彼に
 

結婚式を二週間後に控えた新郎の突然の交通事故死
 
別れの儀で初めて悲しみが込み上げて泣く花嫁

 
 結婚式の打合せに行く途中で死んだ!
 
前章で、クリスマスイブの出来事を書いたが、今回もクリスマス当日にまつわる話である。
 
中川 十(なかがわ みつる)はどちらも一生忘れえぬ出来事だと語っている。
 
特に、今回は、葬儀というものの本質とはどのようにあるべきかを問う出来事であった。
 
彼がまだ、葬儀社で駆け出しのころ、前章で書いたように死後処置の重要性に目覚め、納棺師の技術をまねしながら、彼は彼なりに技術を修得しつつある時期であった。

 そのころ、葬儀業界はバブル状態だったと言っていい。一人の人間が死亡すると、必ず盛大な葬儀が行われる時代だった。普通の葬儀で参列者が二百人から三百人。縁故関係者の多い有力者や、友達の多い若者の葬儀などは、すぐに五百人を超えてしまうことが多かった。
 
 葬儀の演出も派手になってきて、出棺の時に鳩を飛ばしたり花火を上げたり、レーザービームを乱舞させたりと、コンサート会場まがいのことも行われたらしい。
 
 そうなると何が失われていくか。故人とのしみじみとした別れの場であった。演出に時間を取られ、肉親であっても故人との濃密な最後の時間を過ごすことがなくなり、参列者との対応や、イベント会社化した葬儀社との打ち合わせに忙殺され、いつのまにか故人は火葬炉の人となる。そこに残るのは多額な請求書と、何か空虚な、心残りの疲労感であろう。
 
 今回の不幸なカップルの別れの場も五百人規模の葬儀であったが、彼の一生の記憶に残る葬儀になったのは、人と人とが別れる場における癒しが、いかに遺族にとって大切かを証明したからである。



 ある年の12月21日の夕方、彼、爽一(そういち)さん(仮名)(なかなかのイケメンで爽やかな28歳の若者であったというから、ここではそう命名しておこう)は、 東京でも有名な交差点を渡っているときに車にはねられて、救急病院に搬送された。この時、心肺停止状態であったか病院で息を引き取ったかどうかは分からない。
 
 遺体は、近隣県の実家に運ばれた。実家は代々続く農家で、家の周りはほとんど自家所有の田畑だという。敷居も天井も高く、広い和室の部屋数も多い。中川が当時勤務していた葬儀社が、今回の葬儀の発注を受け、担当者として彼が赴いたのである。
 
 もうすでに多くの親族が集まっていた。玄関にはさまざまな形の靴がたくさん敷き詰められていて、親戚じゅうが本家に集まってきているという感じだった。
 
 遺体が寝かされた和室で、両親と妹さんと会った。隣の大きな和室には、たぶん二十人近いの親戚がいたと思われる。ふすまを通して、ひそひそと人の声や歩く音が聞こえる。
 
 爽一さんは長男であった。
 
 母親は、彼の枕元を離れようとしない。もう何時間も正座したままそこでそうやっていたのかも知れない。
 
 まだ駆け出しの中川は、こういう場を無難なく処理する話題や打ち合わせをこなす技術はまだ持ち合わせていない。居心地の悪い雰囲気、途切れがちな会話の合間に、母親は彼が二週間後に結婚式を挙げる予定であったことを告げた。事故を起こしたのは、結婚式の打ち合わせに式場に向かう途中であった。
 
 式場の打合せ室には、相手のフィアンセが待っていた。本番二週間前の打合せと言ったら、何だろうか? すでに招待客は決まっているだろうから、披露宴の進行について司会者と台本の打ち合わせをするつもりだったのだろうか。
 
 中川は、式場の打合せ室で、いつまでも待っているフィアンセの姿を想像していた。
 
 こんなドラマみたいなことってあるだろうかと思った。もし小説家がかわいそうなカップルの物語を書こうと思ったら、こういうお涙頂戴的なベタな内容は誰も書かないだろう。でも、目の前には現実にそれが起こった、一人の若者がふとんに横たわっていた。

 
 必死になって死後処置を行う当時の中川
 
 爽一さんの顔を見る。数か所、青くなった部分はあったが、本当に交通事故で死んだのだろうかと疑うほど、きれいな顔をしていた。
 
 母親は、息子が病院で用意されたねまきを着せられているのを見て、この子はおしゃれだったからこれを着せてあげて欲しいと要望された。フランネルの暖かそうなチェック柄のシャツで、彼が一番好きだった服だった。
 
 中川は、一年前のクリスマスイブの夜に、小さな女性の納棺師が、90キロもある巨体の男性の着替えをしたのだから(前章参照)、自分にもできるだろうと思って着替えを始めた
 
 掛け布団をめくった。見た目は何でもない。外傷はなく、すべて内出血だったようだ。血液が見えるのは、鼻に詰めてあった脱脂綿ぐらいだったが、この出血はこのあと止めるのに苦労した。
 
 今着ているねまきを脱がそうと思って、体を横にしてみる時、中川は異変に気付いた。上になった右腕が、だらんと倒れるはずのない方向に垂れ下がった。上半身の回転に腰骨がついて来れないで、こすれるような異音がした。上半身が横を向いているのに、腰から下はそれを無視するかのように依然上を向いていた。足は、まったく関係のない方向にそっぽを向いていた。
 
 全身打撲・複雑骨折・内臓破裂と聞いていたが、これがそうかと思った。
 
 自分がシャツを着るときは、腕の関節の曲がる方向が決まっているので、毎回同じ作業になるものだが、爽一さんの手足は、細長い風船のようにどちらにも曲がるようになっていて、曲げるたびに骨と骨が擦れ合うかすかな振動音が手に伝わって来た。
 
 シャツはなんとか着せることができた。
 
 次は、鼻から出てくる血液である。真っ黒な色をしていた。脱脂綿はすぐにこの血液を吸収するキャパシティを越えていて、とりあえず割りばしを使って、新しい脱脂綿を詰めた。
 
 今でこそ、この血液がどこから出てきて、どうして鼻から出てくるかのメカニズムは分かっているが、当時は人体の死後の状態については全くの知識がなかったので、手探り状態であった。この血液は、結局告別式の日までにドライアイスを使って凍らせて止めた。このドライアイスも置くところによって効果の有無が分かれる。葬儀業界の慣例に従った部位に置いても止まるものではないことが後日分かる。
 
 母親は、ぼさぼさになっている頭髪を整えて欲しいと言った。どのような車にどのくらいのスピードで跳ね飛ばされたか知らないが、路上のアスファルトのかすやほこりがついていた。幸い、頭部にも外傷はなかった。そのころ常時携帯していたドライ・シャンプーを使って髪の毛を洗ってあげた。
 
 半開きの口も、顎の下に固形物をわからないように置いて閉めた。いま思えば乱暴なやり方だ。
 
 最後にメーキャップとなったが、二十歳ぐらいの妹さんのファンデーションを借りて、彼女に聞きながら施した。はじめての化粧だった。
 
 これが、当時中川がおこなった死後処置のレベルである。
 
 しかし、横に座っていた両親も妹さんも、変わり果てた爽一さんの姿には変わりはなかったが、着替えと洗髪、化粧をして人間らしくなった姿を見て、ひとつのけじめができたことに安堵の表情を浮かべていた。
 
 母親は、二週間後の結婚式の晴れ姿を見たかったと言って、また泣いた。

 
 ああ! 25日は彼の告別式に。
 
 告別式は、25日のクリスマスの日に決まった。
 
 中川は、ドライアイスの交換などで何度か爽一さんの家を訪ねたが、結婚するはずだったかのフィアンセと一度だけ会った。 <
 
 名前をしのぶとしておこう。忍の名にふさわしいつつましい感じの品のある女性だった。歳は24歳。中川は自己紹介をしたが、なんとも掛ける言葉がない。
 
 彼女は、悲しい顔をしていたのかどうか分からない。というより、突然の出来事に遭遇して、悲しみとかそんな感情の範囲の向こう側に行ってしまったような顔をしていた。わかりやすい言葉で言えば「信じられない」という月並みな言葉になるだろう。だから、悲しい顔も何の顔もしていなかった。まだ、悲しみという感情が表面に現れてきていないのだろう。
 
 中川は、彼女が紙の手提げ袋を持っているのに気が付いた。会話が続かなかったので、何が入っているのと聞ける小道具の存在に気づいたことにほっとした。
 
 彼女が恥ずかしそうに出したのは、分厚いグレーのセーターだった。ジャケットの下に着るシェトランドやラムの薄いセーターではない。いかにもごつい太い毛糸で編んだクルーネックのフィッシャーマンズセーターだった。そのままスキー場で防寒具としても着られるだろう。
 
 「半年前から、今年のクリスマスに彼に贈ろうとして編んでたんです」と静かに言った。
 
 胸のところには幾何学模様のケーブルニットパターンが施されていて、相当訓練を積まないと、ここまでのものは編めないだろう。
 
 彼女は、これを毎晩、仕事が終わってから自室で編んでいたのだという。
 
 中川は目を閉じた。
 
 ああ、12月25日のクリスマスは、彼の告別式の日になってしまった。

 
 最後の別れも遠慮するフィアンセ。あせる中川。
 
 25日が来た。
 
 葬儀式場の建物は、一階が火葬炉で二階が告別式を行う大部屋がいくつも並んでいた。
 
 予定通り、爽一さんの告別式は五百人規模となった。同級生も全員来たのかも知れないし、また爽一さんの両親のきょうだいも多いのだろう。同年輩のいとこ達と見受けられる若者が多かった。そこに分家やら地元の自治会やら、会社関係者も含めて、大変な人数となった。
 
 フィアンセのしのぶさんは、中川がご両親を説得して、親族席に座ることになった。しかし、しのぶさんは遠慮して親族席エリアの最後列の端に、やっと座ってくれた。セーターの入った紙袋を持って。
 
 住職の読経や告別式の式次第も順調に終わって、とうとうお別れの儀になった。お別れの儀とは、棺の中に参列者が花などを入れて、棺の扉を閉める、あの別れの悲しみが最高潮に達する瞬間である。
 
 これが終わると階下の火葬場に向かうだけだ。
 

 中川は、棺を参列者のそばに移動して、四方から彼を囲めるような位置につけた。親族も同級生もみな立ち上がって棺のそばに群がってきた。白い棺に黒い喪服のかたまりが囲み出した。
 
 みんな、花を棺の中に入れて最後のお別れをすることは知っている。若いいとこ達や同級生たちは泣きながら、葬儀責任者の中川に花を要求し始めた。参列者が多い関係で、あらかじめ花は一人一輪と決めてアナウンスしてあった。菊の花だけでなく、若者が好きな色花もふんだんに用意してあった。都会の満員電車のように人と人の間隔が狭くなって、身動きが取れなくなってきた。みな泣いたり、彼に大声で声をかけたり、俺にも花をくれと言ったり、統制がとれなくなりつつあった。歴史ある大手の葬儀社の熟練スタッフたちでさえ、若い身空で不幸な死に方をした若者の死を悲しみ、興奮状態は高まっていった。
 
 中川は、しのぶさんを探した。大声で名を呼んでも、若者たちの喧噪にかき消されてしまった。告別式の最中ずっとセーターを胸に抱きしめていたのは、棺に入れるためでなかったのか! どこに行ったんだ。妹さんに聞いても、首を左右に振るだけだった。中川は意を決して靴を脱いでそばにあったイスの上に上がった。
 
 葬儀屋が顧客の葬儀の真っ最中に、イスの上に立つことは絶対ない。全国の葬儀社に聞いてもいい。クビを覚悟だった。
 
 イスの上に立って、三六〇度回転してしのぶさんを探した。大声でまた名を言った。これ以上花を待たせるわけにはいかない。先にセーターを着せてから花をいれなきゃしょうがないじゃないか!
 
 しのぶさんがいた。棺の向こうの奥の壁のところに立っていた。声が届かないので、腕を全部使っておいでおいでと言ったが、彼女は遠慮して手を横に振っている。中川はしまいにはイライラして、遠慮するにもほどがある、あんたはこの爽一さんの妻でこの家の嫁なんだからと、大きな声でどなったが聞こえなかったと思う。
 
 中川は最後の手段をとった。
 
 イスから降りて目の前で泣いている母親に向かって、ここを仕切らせてください。しのぶさんと爽一さんの最後のお別れをさせてあげてください。彼女は、お宅のお嫁さんであなたの娘さんなんですよと言った。ご両親もOKが出たので、中川はもう一度イスに上がって、叫んだ。
 

 彼はこの時、なんといってみんなを黙らせたのか記憶がない。とにかく必死に説明して、一番最初に二人にお別れをさせてあげてくださいというようなことを言ったと思う。
 
 そうすると、同年輩のいとこ達や同級生たちがそうだそうだと言い出して、だんだん静かになっていって、最後にはシーンとなった。
 
 中川は、イスから降りて妹さんにしのぶさんをこっちへ連れてきてほしいとお願いした
 

 しのぶさんは、胸にセーターを抱いて、妹さんに手を引かれて近づいてきた。参列者が、不幸な婚約者のために左右に道を開けた。両親も後退して一緒に参道を作った。
 
 その真ん中を、しのぶさんは妹さんに手を引かれて棺に近づいてきた。
 
 中川は、しのぶさんが、普通の悲しい顔をしているのを、初めて見た。
 
 何の表情もしていなかった顔に、初めて悲しい感情が浮いて出てきていたみたいだった。

 
 やっと悲しみの感情を爆発させたフィアンセ
 
   棺は、だいぶ低い位置にあった。腰を折らないとセーターは置けない。
 
 爽一さんの目から見て、左側に立ったしのぶさんは、セーターを広げた。
 
 中川は、爽一さんの薄い掛布団をめくった。中川が着せたあのフランネルのシャツ姿があらわになった。
 
 彼女は腰を折って、セーターを彼の上半身にかぶせた。中川は、ちゃんと膝をついて座ればいいのにと思ったが、これは時間をかけては皆さんに申し訳ないという彼女ならではの配慮であろう。
 
 セーターの位置は、フランネルのシャツの襟が、クルーネックの部分に露出するように。腕は腕のところにかぶせて・・・。脇の下にニットの生地を押し込むように。チェックの色柄とグレーのセーターのコーディネートが不思議にもぴったりだった。
 
 しのぶさんはセーターを置くと、立ち上がって二歩下がった。妹さんが後ろから支えていた。
 
 みんなは固唾をのんで見守って、動かなかった。
 
 しのぶさんの目は、爽一さんから離れなかった。
 
 その時だった、ずっと何かをこらえていた表情が崩れ、彼女の感情の風船が爆発した。彼女は、嗚咽とともに両膝をガクンと床について、棺の中に倒れこんだ。
 
 両手を肩にまわし、爽一さんの頬に自分の頬をつけて大声をあげて泣き始めた。
 
 21日の事故当日から、五日間もの間、何の表情も見せていなかったしのぶさんが、いま誰に遠慮もせず、爽一さんの化粧を涙で汚しながら、感情の爆発に任せながら、泣いた。

 
 やっと彼の嫁さんになったんだね
 
 どのくらいの時間泣いていたか、中川に聞いたら、たぶん十秒間ぐらいではなかったかと述懐していた。
 
 でも一分間にも感じたとも言った。
 
 十秒の後半になると、それにつられて老いも若きも、男女みなヒックヒックし始めて、中川も泣いたと白状した。
 
 「僕は、めったに泣くことはないんだけど、この時ばかりはあまりにも切なくて泣いてしまった」と。
 
 そのあとどうなったと聞いたら、静かに立ち上がって泣きながらご両親と中川に深々と頭をさげたという。
 
 そして、火葬が終わるまでの約一時間、しのぶさんはご家族と一緒のテーブルで過ごした。泣きはらした赤い目をしながら、なんか吹っ切れたような表情をして、家族とずっと話をしていたという。
 
 私は、「やっと爽一さんのお嫁さんになったんだね」と言った。

(文 コバヤシ カミュ)
 
(これは、中川氏へのインタビューをもとに、コバヤシ カミュが物語風に書いたものです)
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