中川十のANZELたちの羽音(はおと)

 
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  遺体処置室の日常 連載I  私はイヴの夜に死後処置に目覚めた! 

音声で聞く
 
私はイヴの夜に死後処置に目覚めた!
 

メディカル高度処置師誕生秘話
 
あの細い女性がどうやって巨体を移動させたのか!

 
 待ちに待ったイヴの夜に、まさかの出動!
 
 中川 十(なかがわ みつる)は、初めからメディカル高度処置師であったわけではない。 最初は葬儀社の営業社員であった。30歳代のはじめのころ、仕事がなくてアパートに朝から晩までいた時期に、 窓から見える田園風景の片隅に、葬儀社の小さな営業所を発見したことに始まる。 自分でも不思議にその葬儀社に興味を抱き、惹かれるようにその営業所を訪問した。 対応に出たそこの営業所長が、彼の熱意を感じて本社の人事部にかけあってくれたおかげで、 翌月には本社研修を受け、近在の営業所で働くことができるようになった。
 
 今月の話は、その入社後、半年ほど経ったころの話である。

 葬儀社勤務になってはみたものの、本心を明かせば死体は触りたくないのが本音であった。 大変な怖がり屋で、死体と二人っきりの時とか、葬儀業界でよくある幽霊などの超常現象の話になると、 ビビりまくっていたのが現実である。
 
 そんな彼が、毎日多くの死体と向き合う処置師という職業に、何故就いたのか。その真相が今日、明らかになる。

 その日は、12月24日、クリスマスイヴの夜だった。
 
 中川は午後5時に仕事を終わり、妻と長女の待つアパートに帰って来た。
 
 長女は一歳。赤ちゃんイスに座って、毎日笑ったり泣いたりして、「パパ」と呼べば中川が破顔し、「ママ」と呼べば妻がほっぺにキスする日々だった。
 
 この年のクリスマスイヴは、中川家にとっては特別な夜であった。 中川曰(いわ)く、「僕は子供のころ、小さいツリーを立てて、三角帽子をかぶって、ケーキを食べたことがないんです」。 自分が幼少期に体験できなかった幸せのひとときを、長女には体験させてやりたい、そういう健気なかけがえのない晩であった。
 
 だから、一人娘の長女が一歳になったら、これらのクリスマスの小道具を用意して、 見るからに典型的なクリスマスパーティをするのが夢であったと中川は述懐していた。 クリスマスイヴといったら、家族は全員で円形のクリスマスケーキを食べなければならない時代であった。 そのため、妻は予約していたケーキを転んで壊さぬよう慎重に護送して、昼から料理の準備を始めていた。 夫が帰ってきたことにより、中川家のクリスマスイヴの初舞台は幕が上がったのである。

 奇しくも、「♪雨は夜更け過ぎに、雪へと変わるだろう。Silent night, Holly night」とテレビから流れてくる楽曲のように、 窓の外を見ると天気予報の通り、ホワイトクリスマスとなっていた。完璧な1990年代のクリスマスイヴの夜になった。 たった一つ、中川が会社から持たされたポケットベルを除いては・・・。

 今日、ポケットベルを会社から持たされたということは、中川が今夜の自宅待機の当番社員であることを意味していた。 彼の営業所に、もし葬儀の依頼の連絡が入ると、その電話はすべて本社に転送される仕組みになっていた。 本社では、電話番の女性社員が一人夜勤勤務をしていて、その電話を受ける。そして、管轄の営業所の、 今夜の当番社員のポケットベルを鳴らすのである。

 20:00PM頃 長女がトナカイの絵の描かれた三角帽子を被らされて、口のまわりに食べ物の断片が付着している状態のとき、それは鳴った。

 長女は、パパとママが突然興ざめした表情の変化に気づかない。相変わらずテレビを見て大笑いしていた。
 
 ポケットベルには、本社の電話番号の無機質な数字が並んでいた。
 
 中川は、居間の固定電話からその番号に電話を入れた。
 
 @一人暮らしの70歳代男性
 
 A実家に帰って来た娘さんが死体を発見
 
 B警察の検視済み
 
 C至急向かってください。
 
 本社の電話番の女性の、簡潔な業務連絡を箇条書きにすると、きっとこのようになる。

 中川は、彼女にクリスマスケーキを食べてからでもいいですかと聞こうと思ったが、思い余ってやめた。そんなことを彼女に言ってもしょうがない。
 
 家族会議を開いて、クリスマスケーキは、明日の25日夜に食べることを決議し、中川は現場に向かう。
 
 長女にとってクリスマスイヴとは、「父親がクリスマスケーキも食べずに、突然黒いスーツを着て、白い雪が降る中を出かけていく夜」と、定義されただろう。

 嗚呼、この長女には、その後長年にわたって苦労を掛けた。
 
クリスマスイヴどころか、年末年始も、入学式や卒業式も、ゴールデンウィークも、お盆も、運動会も、学園祭も、 学校の友達とは違う定義だっただろう。緊急出動で、いつも途中からいなくなって台無しにしてきたんだから。

 
 遺体は、腐った血液にまみれた70代男性。体重90キロ!
 
 スタッドレスタイヤなんてまだ普及していない時代だったので、5センチほどの積雪でもチェーンをまいてその家に向かわなければならなかった。
 
 市役所のある町の、商店街の一角にある家だった。築三十年以上たっている一軒家。昔はたぶん商店を営んでいたであろう。 木製の格子引き戸を開けると、九畳間ほどの畳が敷かれている空間があった。
 
 30歳代前半の娘さんは、コートも脱がずに、そのだだっ広い部屋で彼を待っていたのであった。 彼が玄関の引き戸を開けたら、飛んできて彼を迎えた。よほど不安な時間を過ごしていたのだとわかる。
 
 この情景の違和感を表すには、中央に「転がっている」大きな死体のことを説明するのが一番早い。
 
 死体は、彼女の実の父親である。本社からの連絡でもあった通り70歳代。しかし、体重90キロの巨体であることは、連絡になかった。 トドは見たことないが、大きなトドが横たわっている感じだった。下半身は着衣なし。性器むき出しの状態。畳の上に一畳ぐらいの ビニールシートが敷かれていて、そこに横向きにエビのようにS字になって寝ていた。 しかし、一畳の長方形のシートの形どおりに横たわっているのではなく、寝相の悪いこどもが、反転して45度の角度で寝ているように、 頭部と足はビニールシートからはみ出していた。遺体のそばの畳の上には、黒い血の水たまりがあって、下半身はおろか上半身も多量の血液が付着していた。 顔は死斑で真っ黒に変色していた。
 
 遺体の発見場所は、風呂場の洗い場であった。警察の見立てでは、死亡推定時期は12月上旬、死後数週間は経過している計算だ。 トイレに行くのが間に合わなくて、大小便を漏らしてしまった。しょうがないので、風呂場で下半身を洗おうとして、ズボンと下着を脱いだところ、 寒さで心臓麻痺を起こしたのだろうというものだった。風呂場には、大便の付着した下着があった。このような状況から事件性なし。 警察もクリスマスイヴだからという訳ではないだろうが、早めに切り上げて帰って行ったという。
 
 検視の際、畳の部屋で遺体をひっくり返したものだから、胃の中に沈殿していた腐った血液が、口から大量に流れ出し、畳の上に水たまりのような池を作り、 猛烈な死臭を発していた。せめてビニールシートの形の通りに体を直して、なにか掛けてくれればいいものを、そのままにして帰って行ったという感じであった。 帰り際、「あとは葬儀屋に連絡してください」という警察の一言で、娘さんは我に返り、中川の会社に連絡してきたのである。
 
 娘さんは、近県に嫁いでいたが、一人暮らしの父親を心配して、クリスマスケーキを届けに来た。すぐに家族の待つ自宅に帰るつもりだったが、 風呂場で絶命している父親を発見することになる。
 
 このお父さんもクリスマスケーキが食べられなかったねと、中川は心の中で思った。 「夏に来たときは、元気だったのに」と娘さんはつぶやいていたが、父親のこの変わり果てた姿に、彼女は泣いていた。そして、動揺していた。何をしていいかわからない不安である。
 
 よく家を見渡してみると、ほとんど生活感のない家であった。何を売っていたか知らないが、元商店のスペースに家財道具はなく、 ストーブにも灯油はなかった。蛍光灯は同心円の二つのドーナツ型のタイプのものだったが、節約のためか直径の大きいほうの蛍光灯ははずしてあった。 娘さんは暗くてすみませんとあやまった。雪が降るほどの低温の夜だったので、靴下だけの足はキンキンに冷えて、すでに感覚がなかった。

 
 葬儀社新人が生まれて初めて体験した死後処置
 
 さて、このあとどうしようか。
 
 娘さんは、もう中川にすべてを依存している。
 
 葬儀も、中川の会社でやることに決まったも同然だ。
 
 中川は、この血みどろで排泄物にまみれた強烈な臭いを発する巨体を、最終的にはきれいにして、清潔なふとんに寝かせてあげなければいけなかった。
 
 新入社員研修では、このような死後処置の研修などなかった。
 
 しかし、そのまねごとだけは、一週間前にしていた。
 
 郊外の農家のおばあちゃんが亡くなって、はじめて一人で担当した葬儀であった。
 
 農家の嫁さんたちは、死後処置など手慣れたものだった。長老格の女性が一人いて、そのやり方を後輩に伝授していくのであった。
 
 若い中川は、葬家にあつまった主婦たちにからかわれたのか、割りばしと綿(わた)を渡されて、遺体の肛門に入れろと言うのだ。 「おらたちはできねえからやってけろ」と言われた。
 
 試されたのだ。

 遺体というものに、まだ触ったことがなかった中川は、後にひけない状況に追い詰められた。 やり方がわからず先輩社員に電話したが、みんな忘年会の真っ最中で、みんなお酒を飲んでできあがっていて、彼らからもからかわれる始末だった。
 
 中川は意を決して、割りばしをつかんだ。遺体の着物の下部をめくった。露出した肛門に割りばしを突っ込む。
 
「綿をつまんで肛門に刺した。割りばしから伝わってきた、あの大腸の壁面の感触が忘れられない」と言っている。
 
 このように、葬儀の見積り作成はできても、遺体の死後処置には全くの素人だった中川は、この巨体を前にして、絶望的な状況になっていた。
 
 しかし、娘さんからは信頼の眼差しで見つめられ、かつ泣きつかれ、中川は内心困り果てていた。 今夜唯一連絡が取れる社員である本社あの電話番の女性にも連絡して助けを求めたが、遠回しに断られた。途方にくれた中川であった。
 
 その時だった。中川の脳裏に、ある先輩の言葉が浮かんだ。
 
「そういうときは納棺師に頼めばいいんだよ」
 
(そうだ! 納棺師がいた!)
 
 納棺師とは、当時はまだ珍しい職種だった。ある本には、故人を棺に納めるために遺体を整え(化粧など)、旅立ちの衣装を着せて棺に納める人とある。 別名、装美師ともいい、葬儀業者からの依頼によって仕事をする人たちだった。
 
 現在、中川が行っている死後処置との違いはというと、中川が医療関係者であることに対して、納棺師は葬儀関係者。 中川が医学的に細胞レベルから遺体の腐乱を遅らせる技術に対して、納棺師は棺に遺体を納める際の見た目を整える仕事になる。
 
 中川は言うには、「私が死後処置をしてから、納棺師に化粧をしてもらい、好きな服を着せてもらえば一番いい」とも言っていた。
 
 このあと、中川はひとりの納棺師との出会うこととなり、のちに処置師の道へ向かう貴重なきっかけをつかむのである。

 
 一時間後、障子を開けると信じられない光景が!
 
 手帳にメモしてあった納棺師の会社に連絡をした。
 
 クリスマスイヴだから誰もいないかなと不安になったが、奇跡的に電話に誰かが出た。そこの会社の社長だった。
 
 藁をもつかむ心境で、現在の状況を話したら、いいですよ、一人向かわせますということだった。
 
 クリスマスイヴの夜9時に、これから隣の県から車を飛ばしてくる葬儀関係者が一人できた。
 
 納棺師が到着するまで、隣の和室で娘さんと葬儀の打合せをすることになった。その間も、お父さんの遺体は、元商店の寒々しい隣の部屋に横たわって、強烈な死臭を放っていた。
 
 納棺師が到着した。
 
 20歳代の女性だった。しかも、背が小さくて、とても細い女性だった。
 
 中川は、クリスマスイヴの日に、当番社員になった不運を嘆いた。
 
 夢にまで見た家族水入らずのクリスマスパーティを中断し、遺体は死後数週間たった腐乱死体。葬儀経験がなくただ泣き悲しむ娘。 ほぼ初心者の葬儀社員。ベテラン社員はみんな酔っぱらってあてにならず。最後の頼みの綱の納棺師は、なんだか頼りなさそうなアルバイトみたいな女性。 あの巨体の向きを変えることもできないだろう。
 
 中川は無性に腹が立ってきて、納棺師の会社のさっきの社長に文句を言ってやろうかと思ったが、やめた。
 
 この女性ができなかったら、自分が血まみれになってやればいいんだ。あの巨体を動かすときに手伝ってやればいいんだと、覚悟を決めたのである。
 
 中川は、愛想笑いをして儀礼的に手伝いましょうかと言ったら、いえ大丈夫ですと軽く言った。また、遺体を移動するときには言ってくださいと言ったら、また、いえ大丈夫ですとまた言うのである。しかも、そちらの部屋で打合せでもしていてくださいと。
 
 そこまで言われれば、それ以上言うこともないので、再び中川は施主さんと打ち合わせをつづけた。
 
 1時間ぐらい経った。
 
 時計は、もう夜の12時近くになっていた。
 
 元商店だった隣の部屋から、障子をあけて、彼女が涼しい顔で「終わりました」と告げた。
 
 え、もうこんなに早く?
 
 中川と娘さんは、そろってお父さんのところへ行った。
 
 そこには信じられない光景があった。
 
 お父さんが、きれいな白いふとんの中に、寝ているではないか。
 
 例えはベタだが、魔法をかけられているかのようだった。
 
 90キロもある巨体をどうやって動かしたのか、血まみれの遺体をきれいにして、エビみたいに曲がっていた遺体を、あおむけにして寝かせてあった。
 
 なおかつ長袖のポロシャツにスラックスをはかせ、真っ黒だった顔には化粧を施して、弔問客がいつ来ても会えるようになっていた。

◆◆

 あんな、小さくて細い女性が、どうやって体重のある遺体を移動させるかについては、中川はもちろん今はそのやり方は知っている。
 
 いわゆるてこの原理を使って、遺体を起こしたり移動したりするのだという。
 
 それにしても、この出会いは中川にとって神秘的な、運命的な出会いとなった。
 
 しかも一番の感動は、遺族の喜びようである。
 
 あのお父さんの娘さんの喜びの涙と安堵の表情は、彼の今後の仕事に関して、重大な覚醒をもたらしたようだった。
 
 その覚醒とは、単に葬儀を行うだけではない。遺族が本当に心救われるには、遺体の状況が大きく左右することを知ったのである。
 
 中川は、その後、ことあるごとに葬儀に納棺師を組み入れた。施主から見ると、その分だけ高くなるが、中川は納棺師の役割と効果を説得したのである。その結果、全社で数百名いた営業社員の中で、納棺師の受注額が二年連続トップという実績を作ったのである。
 
 この経験が、のちのメディカル高度処置師の誕生につながっていくのである。
 

(文 コバヤシ カミュ)
(これは、中川氏へのインタビューをもとに、コバヤシ カミュが物語風に書いたものです)

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