中川十のANZELたちの羽音(はおと)

 
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  遺体処置室の日常 連載H  自分の棺を買う元銀座ママ 

音声で聞く
 
自分の棺を買う 元銀座ママ
 

自分の死を素直に受け入れ、残る旦那のために心尽くす妻
 
死後はだれのものか? 死後も自分らしく尊厳をもって

 
 棺を売ってください。私死ぬんです。
 
「あのすみません。棺(ひつぎ)を売ってくれないですか?」
 
 中川 十(なかがわ みつる)が事務所にいたとき電話が鳴ったので出たら、突然こう言われた。
 
 通常「ちょっとお尋ねしたいのですが」とか、「唐突に申し訳ありませんが」とか、前置きがあれば、中川も心の準備ができようが、これが第一声だったので、思わず「はあ?」と返してしまった。
 
 しかも、この電話口の女性は、唐突と思っていないらしい。八百屋に行って野菜を買うような感覚で、葬儀社で棺を買うつもりのようだ。
 
 たぶん、市内の職業別電話帳をめくってはじから電話しているのだろう。
 
 当時、中川も病院での遺体処置をまだ始めたばかりの時期だったので、前職の葬儀の仕事を一部引きずっていた。
 
 そのため、職業別電話帳の葬祭業の項目に、まだ自分の名前が載っていたのである。
 
 な行の中川は後ろの方だったと思う。
 この手の電話はたまにかかってくる。
 
 家族の誰かが亡くなったが葬式を出すお金がなくて、自分たちで棺を買って、自分たちで火葬場に持っていくのである。
 
 しかし、葬儀社業界はこれを嫌う。
 
 棺は、あくまでもお葬式をするための小道具の一つであって、棺の中に遺体が入ってこそ、葬祭業が成り立っているのである。
 
 棺の中に遺体があればこそ、納棺や霊柩搬送代、ドライアイスなどの代金、その他骨壺をはじめ関連の物品の費用が付随的に派生してくるのであって、棺という箱だけを売るのであったら、数万円をもらってそれでおしまいである。前者の搬送代や物品群を含めれば、少なく見積もっても四倍の金額にはなる。
 
 しかも、「○○社が棺を売ってくれた」などという噂が流れたら、お葬式を出すお金がない遺族はみんな右にならえとなって、葬儀業界全体が商売あがったりになってしまう。
 
 だから、特に業界として申し合わせをした訳ではないが、直感的にこのような危機感を感じ取って、この手の電話がかかってきても、棺だけでは売らないのである。
 
 彼女(ここではG子としておく。今回の主人公が、元銀座のママだったので、「銀座」の頭文字を取って)は、そんな業界の不文律などつゆ知らず、はじから電話をかけているようだった。
 
 いままでかけた葬儀業社が棺を売らないのは当然だよと、彼は心の中でつぶやいた。
 
 れでも彼は無下にことわるのも何なので、「あの、どなたかお身内の方がお亡くなりになられたのですか?」と聞いた。
 
 すると、「いえ、違うんです。私が入る棺です。私死ぬんです」と言った。
 
 最後の言葉が中川の耳に残った。
 
またしても「はあ?」と言ってしまった。
 
 カレンダーに赤丸。「私が死ぬ日」
 
 すでに読者諸兄はお気づきのこととは思うが、中川の悪い癖は、なんというか冷たく切ることのできない性格なのだろう。
 
すでに書いたように、葬儀業社は棺だけでは売らない慣例だから、断ってしまえばいいのである。そうしたらG子は、電話帳の葬祭業の項目に載っているすべての業者に電話をし終えるだけである。ひょっとしたら、隣町の電話帳まで引っ張り出してくるかもしれないが、いくらかけても結果は同じである。
 
 しかし、中川はG子の「私死ぬんです」の一言に興味を持った。
 
 よせばいいのに、また「あのお、もしよろしければご事情をうかがってもよろしいでしょうか?」と聞いてしまっていて、一時間後に自宅を訪ねる約束をしていた。
 
 G子の住まいは、彼の事務所から10分ぐらいのところにあった。新築のアパートの一階で、旦那さんと二人暮らし。ガレージにはシルバーのメルセデスベンツ190Eハッチバックが停まっている。バブル時代に銀座や六本木にあふれていたあの小ベンツ(こべんつ)だ。
 
 玄関のチャイムを鳴らすと、がりがりにやせた中年男が出てきた。旦那さんであった。蚊の鳴くような声とはこのような声を言うのだろう。中川は自分が難聴になった気がした。
 
 間取りはキッチンに六畳二間。短い廊下を案内されて歩く最中にも、中川は無意識に廊下の幅を計っていた。棺がやっと通る幅である。
 
 突き当りの居間に、G子はリースの最新のリクライニング式ベッドに横になっていた。
 
 中川が着くと上半身だけを電動で起こして、中川に礼を言った。
 
 全身がむくんでいる。体重はあとで聞いたら80キロあったという。特大棺(とくだいかん)というワイドサイズの棺でなければ無理だと思った。あの廊下大丈夫かな?
 
 すでに頭髪は抜け落ちていて丸坊主。中川が来るのでいそいで口紅だけつけたのだろう。しかし、眉毛はちゃんと整えられており、どことなく色っぽさがただよい、それなりの品格があった。年齢は五十五歳だという。
 
 G子は、中川の「突然すみません」のあいさつに、「いえ、こちらこそ本当にごめんなさい」と返した。
 
 「いきなりのお電話でびっくりしちゃったんですけど・・・」と言いかけた言葉のあとを受けて、G子が子宮癌の末期であることを告げた。
 
 中川は、死ぬなんて縁起でもないことを言わないでくださいと、はげましのつもりで言ったが、G子は「本当なんですよ。これを見てください」と言って、壁にかけてあるカレンダーを指さした。
 
 そのカレンダーは一ケ月一枚のタブロイド判ほどのサイズのよくあるカレンダーで、数字が1から31まで並んでいる各数字の下に、その日の予定を書く空欄が設けられているタイプのものだった。
 
 と言っても、もう書かれている予定などほとんどなくて、おとといの八日の予定欄に「通院」と書かれているだけだった。
 
 過ぎ去った日は、油性の黒いマジックで引いた斜線で消されていた。つまり今日は十日だから、一日から昨日の九日までは、数字が左上から右下に直線で消されていたのだ。
 
 ふと先に目をやると、五日後の十五日が祝日のように赤いマジックで丸く囲んであった。予定欄に「私が死ぬ日」と書いてあった。
 
 「何ですか? これ」
 
 中川はちょっと笑いながら言った。
 
 冗談はやめましょうよという意味の微笑だった。
 
「いえ、実は本当にそうなのよ。もうドクターからもこの辺の時期じゃないかと言われているし・・・」
 
 中川は彼女の言葉に「なんだかグッと来ちゃって」と言っていた。
 
 あのお、もしよければお化粧もしますよ・・・
 
   それにしても、中川には信じられなかった。目の前にいるG子が五日後に死ぬとは。
 
 声には張りがあって力もある。
 
 特に旦那さんを叱る声はものすごい迫力があった。
 
 例の蚊の鳴くような小さい声しか出ない痩せこけた旦那さんが、そばにちょこっと座って二人の話を聞いている。
 
 G子はやさしく、しかも張りのある声で、柔和な表情で中川と話している。しかし、これが突如豹変するのである。
 
 急に旦那さんの方を見たかと思った瞬間、顔面の筋肉が吊り上がり、「あんた! お茶ぐらい出しなさいよ!」と大轟音で叱るのである。たぶんその大声は、二軒となりの103号室にも壁づたいに聞こえているだろう。
 
 蚊のような旦那は飛び上がって台所に飛んでいき、瀬戸物をガチャガチャと音を立てながら狼狽してお茶を入れるのである。
 
 二時間この部屋にいるうちに、こういうことが数回あった。「あんた! 洗濯物を入れなきゃダメじゃないの!」とか、「あそこへ電話を入れたの!」とかそういうたぐいのことだったが、そのたびごとに蚊は跳ね上がり、ベランダやら電話に飛んでいくのである。その豹変ぶりをなんと表現していいか。中国の変面雑技団のように、一瞬に顔が変わるから恐ろしい。
 
 しかし、蚊の旦那が向こうの部屋に飛んで行っている最中、中川と二人っきりになった時G子は、
 
 「すみません。みっともないところをお見せして。私がこのぐらい言わないと、あの人はだめなんです。あの人はこれから一人で生きていかなきゃいけないのに・・・」と言っていた。
 
 パワハラだと思っていた中川は、あの怒号が愛情表現の一つであったことを悟ったのである。
 
 自分が棺に入るために購入することは本当だったと、中川は悟った。彼は続けた。
 
 「ところでG子さん。棺をこの部屋に納品したら、ここで棺に入られるおつもりですか? 病院には行かないのですか?」
 
 「行きません。ここで最期を迎えるとドクターにも伝えてあります。死んだら、この人が火葬場へ持って行って焼いてくれることになっているんです。私のことはいいの。少しでもこの人のためにお金を残しておきたいの」と言った。
 
 ここでも中川の悪い癖がまた出るのである。
 
 彼は、明日、棺をよっこらしょっと持ってきて、数万円もらえばそれでいいのであった。それでいつでもこの人は死ねる。死んだら蚊の旦那があらん限りの力をふりしぼって、この巨体をベッドから棺に転がして落とし、二人の屈強な男たちに頼んで棺を運び出し、あの自慢の小ベンツに乗せて火葬場に持っていけばそれでいいではないか。特大棺が大きすぎてハッチバックが閉まらなくたって、排泄物が漏れたって、白目をむいていたって、そんなことは関係ない。
 
 中川は言った。
 
 「G子さん。棺はお譲りしますから大丈夫です。それであのお、もしよろしければエンゼルケアという、お亡くなりになったあとの処置もしますよ。私それが専門なんです。ご希望のお化粧もして差し上げますよ。また着たい服もあるでしょう? それで火葬場へ行きましょう」と言ってしまった。もちろん棺の代金以外は要りません、とも。
 
 先日、彼にこの話をインタビューしたときに、なんと大赤字なことをしてしまったのかと指摘したが、その時は少しも惜しい気持ちはなかったと言っていた。
 
 その言葉を聞いたG子は、初めて泣く。中川曰く、「あの鬼ばばあが声を上げて泣いたんです」。 「私重いし、死んだら主人が大変だし」とか、「私の最期の姿を、自信もって主人に見せられるのはうれしい!」とかいうことを、べそかいて言っていた。さっきまで鬼のように怒鳴っていた大女が、この時は少女のように見えた。自分のためではなく、自分の死後の旦那さんを気遣っての涙だったのだろう。
 
 蚊の鳴くような声の旦那も、蚊が鳴くように、一緒に泣いた。
 
 たった一本の電話が縁で、死後の面倒を見てくれる人物に、G子は邂逅することができたのである。
 
 「今日も開店。準備はいい? ドアオープン!」
 
 すると、また豹変して、「あんた! 私のあの写真持ってきて!」と声が轟いた。蚊はまた飛び跳ねて、向こうの部屋へ飛んで行った。
 
 しかし、急に言われたものだから、狼狽して箪笥の引き出しを開けたり閉めたりする音が聞こえた。「あの写真はあの引き出しにあるって何度言ったら分かるの! まったく使いものにならないわねえ!」と雷が鳴った。
 
 それでも蚊は、一枚の写真を持ってきた。それを勢いよく奪い取ると、向きを変えて中川に「見て」と、やさしく差し出した。
 
 そこには、銀座のクラブを経営していたころのG子さんが映っていた。ママさんらしい派手な肩パッド入りのスーツ、いわゆる「ワンレン」「ソバージュ」のヘア、安田成美似のスレンダーな彼女の、往年の姿がそこにあった。
 
「銀座の喫茶店ルノワールで、始発を待っているときに撮った写真なの」と説明した。1980年代後半らしい時代のメーキャップで、自信に満ちた彼女の美しい笑顔が映っていた。 「今とまったく違うでしょう?」
 
 同じですよとお世辞を言ってごまかした記憶があると、中川はインタビューの時言っていた。
 
 たぶん、蚊の旦那さんは、この時経営していたお店の従業員だったのではないかと推測する。カウンターの向こうで蝶ネクタイつけてカクテルでも作っていたのではないか。そういえばそういう雰囲気が残っている。
 
 そのあと、メーキャップや衣装、写真などの打合せに盛り上がった。銀座のお店を開店する直前の、あの緊張感漂うスタッフミーティングの感覚が蘇ったのだろうか。この部屋は、地方都市のアパートの一室ではなく、もはや「銀座」になっていた。
 
 あなた、お化粧はできるの? ああ、そう。自信あるのね。じゃあお願いするわね。口紅はどうしてもオレンジ系を使って欲しいの。持ってる? ええ、その色でいいわ。本当はもうちょっと淡いほうが本当はいいんだけど。それからアイシャドーはラメがこのくらい入っていて、濃いぐらいがいいの。チーク(頬)は、これね。洋服はこっちへ引っ越してくるときにほとんど捨てちゃったけど、あれなんかどうかしら? 「あんた! なにを突っ立ってるの? 早くあのスーツを持ってきて!」 ああ、もうウェストが入んないや。え? あなた着物を持っているの? ピンク? え、それを着せてくれるの? それは悪いわよ。本当にいいの? ありがたいわ。写真はこのルノワールの写真をお願い。額縁は葬式っぽくないのにして。花はできたら胡蝶蘭にして欲しいの。一本でもいいの。銀座にオープンした時の思い出の花なのよ。
 
 そのまま盛り上がったままにしておいたら、ついG子ママはスタッフ全員に「(パンパンと手を叩いて)さあ、今日も開店するわよ。準備はいい? ドアオープン!」と宣言して、往時にタイムスリップしていたかも知れない。
 
 久しぶりの、楽しいひとときであった。
 
 しかし、G子さんは、二日後の十二日の夜に死んだ。
 
 希望通りのお化粧ですよ。そういう人っていないんですから。
 
 盛り上がった翌日の十一日にも、中川は打ち合わせに行っていた。すでに十日は斜線で消されていた。
 
 この日も、生気あふれる「気」が、体中からオーラみたいに放たれていた。ひょっとしたらこの人はずうっとこのまま生き続けるのではないかと思われた。
 
 しかし、その翌日の夜一本の電話があり、「妻が逝去しました」と蚊は鳴いた。
 
 すぐに駆け付けた。時計はすでに十三日になっていた。
 
 おだやかな顔だった。ほんとうに微笑んでいる感じだった。
 
 右手五本の指が死斑で変色していた。旦那さんが、死後ずっと握っていたとのことだった。
 
 彼は、何度かニヒルなほほ笑みを浮かべた。筆者はどんな顔か想像できないが、中川は「強がっている弱者のほほ笑み」と表現していた。か細い蚊が、強く見せようと悲しみを隠している顔だったのだろう。
 
 一緒に死後処置をした。
 
 おむつは履かせたばかりだったので、そのままにした。体も拭いてあったが、さすがに背中だけは拭けなかったので、一緒に遺体を横にして、拭いてあげた。
 
 約束のピンクの着物を着せた。足が、象の足のようにパンパンに張っていた。
 
 口の中に含み綿を入れるときは、旦那さんには席をはずしてもらった。
 
 中川は、G子さんに語り掛けた。「いよいよお化粧しますね。みんなG子さんの指令通りにしますからね。自分の希望通りのお顔になれる人なんて、滅多にいないんですよ。 みんな遺族やほかの人の好みにされちゃうんですから」。
 
 旦那さんを呼んで、化粧に移った。
 
 最後に、旦那さんにオレンジ色の口紅を塗ってもらった。初めての体験らしく、手が震えていた。
 
「唇からはみ出さないでくださいね」。
 
 G子さんは十五日に、中川の霊柩搬送車で火葬場に向かった。


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 埋葬は、中川の懇意にしているお寺の、永代供養墓に納めてもらった。
 
 背の高い観音様の足元の祠の中にお骨がある。
 
 数年後、このお寺を訪れたとき、住職が中川に言った。
 
「あの細い旦那さん、毎日お墓参りに来てたよ。それで来るたびに律儀に拝んでいいかと挨拶に来るので、もう勝手に来て勝手に帰っていいですよって言ったんだよ」と。
 
 蚊の鳴くような声の、心やさしい彼らしい逸話だなと、中川は思った。


(文 コバヤシ カミュ)
(これは、中川氏へのインタビューをもとに、コバヤシ カミュが物語風に書いたものです)

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