中川十のANZELたちの羽音(はおと)

 
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 遺体処置室の日常 連載D  多くの同僚に愛された或る鬼看護師が末期がんに

 
音声で聞く
 
 
幸せな息子夫婦の姿を一目見たいとその日まで生き延びた彼女
 
がん治療で別人に変貌した「戦友」を元の通りに

 
出世を拒み続けたベテラン看護師

「C子さん困るよ。あの先生がへそまげて帰られたら、うちの病院はどうなる? 
 だからちょっと目をつぶってもらえれば・・・」
「いえ、それとこれとは違います。あんないい加減な診察をされたら患者さんがかわいそうです!」

C子さんとは、今は亡きD病院のある病棟の看護主任。今回の主人公である。
彼女は、相手が大都会の大きな病院から招かれてきた権威ある有名なドクターであっても、
仕事に対して不本意な行動を、絶対に許せなかった。
その有名ドクターに対しても、彼女は正面から言うべきことを言った。

C子の肩書は看護主任だが、これは彼女が現場で働き続けたいという理由で、かたくなに昇進を
拒んできた結果だった。本来なら病院の上層階に個室を与えられて、書類にサインしたり、電話をかけたり、来客に対応したりと、患者には一人も会わないで一日を終えるマネジメントの仕事をするはずの人物だった。

こういう人はどこの業界にもいる。優秀なのだが、偉くはなりたくない人。
交番勤務が好きなベテラン巡査部長。事件現場に駆け付ける新聞社の壮年記者。
スーパーの野菜売り場に一日立っているおばさん販売員。
同期はみんな出世して個室を与えられ、部下がおそるおそるノックしてやっと面会できる「お偉いさん」になっているが、当人は若い人たちに交じって現場を駆けずり回るほうがいいというような。

事実、彼女の同期は、みんなほとんど「お偉いさん」になっていて、それぞれの勤務先の病院の、看護師の上司たちを管理する役職となっていて、もうそこまで昇進すると、今度は市とか県とか協会とかを相手にする仕事をしている身分なのである。

しかし、彼女は先に言ったように、現場が好きだった。そしてみんなから愛されていた。愛されていたと書いたが、これは長年彼女から指導された人たちが、後に振り返っていう言葉であって、いままさに指導されている若い看護師にとっては鬼にしか見えないだろう。

「なぜ、照明を点けっぱなしにしたの?」

今日も、ナースステーションの奥の部屋から、C子の大きい声が聞こえる。どうやら、若い看護師が叱られているようだ。「あの患者さんは体を動かせないから、まぶしいと感じても消せないのよ」という声が聞こえる。〇〇〇号室の患者を担当している看護師が、患者のベッド脇のライトを消し忘れたことで叱られているようだった。

昨日の場合は、患者を診て回る順番について、違う看護師を叱っていた。その看護師は十人ほどの患者を担当しているのだが、「だったら、どうしてその患者さんの食事を後回しにしてあげて、ゆっくり食べられるようにしてあげなかったの?」という声が聞こえた。

一般の人はナースステーションの奥に小さな部屋があるとは知らないだろうが、それはあくまでも休憩用の部屋であった。しかし、このフロアのナースステーションではC子の「教育部屋」になっていた。

この病院の各フロアで陣頭指揮を執っている中堅の看護師たちは、みなこの教育部屋の卒業生だ。
「卒業」できるレベルになれば、C子の教育はなつかしく感謝をもって迎えられるが、今叱られている看護師にとってみれば、単なる説教部屋にしか感じられないだろう。
しかし、数年もすれば彼女たちもまた、他のフロアに異動してゆき、今度はそこの若い看護師を教育する立場になっているはずだ。



悲しみを押し殺してきた看護師たちのグリーフケア

中川 十(なかがわ みつる)は、彼女とは三十歳代始めからの仲間で、もう一緒に仕事をして二十年以上になった。中川はC子の事を「戦友」と表現していた。

「本当に強い女なんですけれども、すごい女らしいんですね。母の温かみを感じるというか。この人に関しては思い出がありすぎて、どれを話していいか分からない」と言う。

出会いは、中川が初めてスタッフとしてこのD病院に入ったときから始まる。
中川は今でこそ「メディカル高度処置師」という職名を名乗っているが、これは彼自身が考えた名前だ。
それは、いままで病院という世界に、このような仕事をする人がいなかったことを意味する。

それまで患者の死後の処置は、看護師が行っていた。しかし、それは顔を拭いたり、人体の穴に綿球を詰めたりするのだが、だいたいその病院の看護師たちに独自に代々引き継がれている慣習で成り立っていて、故人の尊厳を保つというよりは、体液漏れを防ぐのを目的とした作業だった。

中川が葬儀業出身だったことも相まって、彼がこの病院に来た当初は、看護師全員に「シカトされた」という。「いままで私達がやってきたのに、なんで葬儀屋の業者が来るのよ」という感じだ。看護師にとって葬儀業界はある意味隣接する業界になるのだが、彼女たちは目を合わせるのを嫌った。看護師にとって患者とは、治癒して正面玄関から歩いて帰宅するのを想定しているので、不運にも亡くなって裏口からひそかに帰宅することを望んでいないからだ。だから、ただでさえ看護師と葬儀業者とは、一種よそよそしい微妙な距離感がある。

中川は、患者の死後処置をすると、家族に対面してもらう前に、事前チェックと称して、看護師に見てもらうことを始めた。「いったい何をチェックしろって言うのよ」という感じで不機嫌に入ってくる看護師は、初めはそういう顔で患者の姿を見ているが、中川は続けて言う言葉でだんだん態度が変わってくる。

「家族の方々が入ってくると、看護師のみなさんは遠慮して後ろの方に下がってしまうでしょう? 
だから、いまのうちに最後のお別れをしてもらおうと思って。だからどうぞ声をかけてやってください」と。

患者の中には、四六時中看護をしている関係で、ある面家族よりも親しくなる場合がある。看護のプロとして見えない一線を引いているつもりではいるが、人間である以上しょうがない。悲しい感情をいつも押し殺していたが、それらは古い地層のように心の深いところに生き埋めにされたままなのだ。

眠っているようなきれいな死に顔を見て、看護師たちはほとんどその場で泣き崩れるという。
そして家族が対面する前の短い時間、お互いに病気と戦った友として、別れを惜しむのである。

はじめの頃は、他の看護師と同じように中川を批判的に見ていたC子だったが、彼女にも中川が来てからの、病棟の雰囲気の変化に気づいていた。

C子は、看護師にとってそれはそれは怖い上司だったが、半面よき相談相手でもあった。いままで退職の相談が多かった看護師たちが、C子に向かって、泣きながら「また明日から頑張ります」と言ってくるようになったという。自分が看護を担当した患者が亡くなると、だいたい看護師をやめたいという相談に来るのは時間の問題だったが、中川が処置したご遺体を事前チェックに行った担当看護師が、思いっきり泣いて帰ってくることで、 変わってきた。死後処置は、故人本人や遺族のためでもあるが、看護師のグリーフケアにもなっていたのである。

しかも、その対面した遺体が、いかにも病気に負けて死んだみじめな姿ではなくて、あたかも眠っているようなやすらかな姿を目の当たりにすると、なお一層癒されるのである。

D病院の看護師からシカトされていた中川は、いまや看護師たちにとってなくてはならない存在、「戦友」となったのである。


◆ ◆ ◆


そのC子が、突然病棟で倒れた。

子宮がんだった。結構ステージが進んでいた。
隣町のE大学病院に入院した。E大学病院は、広大な敷地に学部ごとにビルが一棟ずつ建ち、外来とスタッフのための駐車場などを合わせると、普通の町の一丁目すべてがすっぽり入るほどの広さがあった。見舞客のためのホテルや急患用のヘリポートもある。まわりには薬局はもちろん、ドクターのための外車販売店や高級マンションも多い。その一帯が病院城下町という感じだ。
そこに、D病院のあのC子が入院したという噂がすぐに広がり、県内のベテラン看護師たちが面会に殺到した。当然、人数制限がかかる。中川も面会に行こうとしたが、勤務していたD病院の看護師長たちから、「私たちでさえも面会できないのに、あなたは到底無理よ」と言われた。「さえ」と「到底」の言葉が気になったが、しょうがない。
結局、継続的な面会が許されたのは、家族と県内の看護師界のトップクラスの数名だけだった。



「オカンじゃない! でもオカンなんです!」

中川が、彼女と会えたのは、それから約一年後だった。場所は、ある葬儀社の霊安室だった。

彼が処置をする遺体は、99.99%見ず知らずの人だ。しかし、いままで二人だけ、知り合いがいた。ひとりは自分の祖母だった。まだ駆け出しのころ、初めて生前依頼を受けた。親族からもこの職業を誤解され縁遠くなっていたのに、祖母だけが理解してくれた。そして、私が死んだらお前に頼むと言われた。家族がこれをきっかけに理解を示し、この仕事に誇りを持てた瞬間だった。

中川がC子に霊安室で再会した時の情景を、中川はあまり詳しく語らなかった。悲しいというよりも、彼女から与えられたミッションを達成しなければならないという緊張感の方が大きかったからだと思う。

彼がここに呼ばれたのは、もちろん処置をするためであった。故人本人からのたっての願いで、
私に何かあったら、中川さんに処置を頼んでというのが、数ある遺言の中の一つだった。

中川は、単に仕事を請け負ったのではなく、そこに重要なメッセージが込められているのを感じた。

生前の仕事、治療によって変わってしまった人相、大勢の弔問客、これらを考え合わせると、
死後の処置を安心して頼めるのはあなたしかいないのよ、という声が聞こえるようだ。
単に、友人だからではない。

治療によって変わってしまった人相というのは、いま立ち会っている彼女の次男が
「オカンじゃない! でもオカンなんです」と言って泣いたように、
中川が見ても過去の面影は残っていなかった。
抗がん剤治療のためあらゆる毛が抜けて落ちてしまっていた。

そして、このむくみ! 全身がパンパンに腫れたようになっていて、針で皮膚に穴をあけたなら、水分が噴水になって飛び出してくるような感じだった。 これを県内外から集まる大勢の弔問客に見せるわけにはいかない。 看護師関係、元患者たち、病院関係者、市や県、看護協会の関係者、そして、公務員である次男の職場の関係者。 いま、葬儀の式場確保と日程調整に親族が追われているが、おそらく一週間後ぐらいになるだろう。
それまでにこのむくみを何とかしなくては。



結婚披露宴の服のまま病室に駆け付けた息子夫婦

中川は、一回も面会に行けなかったことを、次男に詫びた。面会制限を知っていた次男は、もちろんそのことは責めてはいない。

しかし、C子の壮絶な最期を教えてくれた。

「本当は結婚式を中止にする予定だったんです」と言った。彼は、実は母親の亡くなった日に結婚式を挙げた。いや、表現が違う。 結婚式の日まで、母親が死ぬのを延期したと言う方が正しいだろう。

「結婚式を中止すると言ったら、大変怒られましてね。私の事はいいから、自分の幸せを優先するのって。でもその時はもう言葉もろくに話せない頃で、あらん限りの力を振り絞って怒ってくれたんです。

次男は、結婚式挙行を決意し、チャペルで結婚式を挙げた。多くの招待客を招いて行われた披露宴が終了後、すぐに新郎新婦はE大学病院にタクシーで駆け付けた。新郎は白いタキシード、新婦はイエローのカクテルバーティドレスのままである。誰もそんなファッションでタクシーに乗る人はいない。ましてや病院の正面玄関からロビーを入って見舞いにくる人はいないだろう。
すでにC子は二日前に一回目の峠を迎えていたが、奇跡的に生き延びていた。もう気力だけで生きていたと言ってよい。
結婚式の日は、大学病院側も病院あげての協力体制をとっており、玄関エントランスでは若手看護師が到着を待ち構えていた。携帯電話でタクシーの位置を確認しながら、病室と連絡を取り合い、状況を逐一C子に報告していた。

「いま、〇〇の信号を過ぎたところよ! あと〇分で着くからね!」と耳元で、付き添っていた女性が叫ぶ。しかし、もう聞こえているかどうかわからない。もうこの一週間、意識が点線のように途切れ途切れになっていて、すでにまぶたを開く力も残っていなかった。口を大きく開けて応えるだけである。声はもう出せなくなっていた。付き添いの人たちは、すでに述べた県内のトップクラスの看護師たち五人で、C子と同じ看護学校時代の同期たちだった。自分が勤務している病院だったら十数名から百数十名の部下を持つ人々である。

だから、その病院に勤務しているわけではないが、看護師の対応や医療機器には慣れていて、ほらあなたは何をしているの、あれは持って来ないのとか、この機器の数字がいまこうなっているからこうだとか、病室にいた担当看護師は相当やりにくかったと思うが、そのままにわかの看護実習になってしまっていた。

さあ、新郎新婦がエントランスに到着した。
大勢の外来患者がロビーにいたが、突然、白のタキシードと黄色のカクテルパーティドレスの二人のあり得ない登場に、みな呆然としていたが、手をつないで走ってくる二人にみんな道を譲った。

エレベーター出口からは、そのフロアの看護師長に案内されて、病室に着いた。
病室でのやりとりは、中川が次男から聞いた話の記述なので、こまかいところまではわからない。
しかし、新郎新婦がベッドを左右から挟み、母親の両手をそれぞれ握っている写真が残されている。

C子はこれ以上開けられないほど口を開けて応えている。写真を撮るよという声かけで、新郎新婦がカメラ目線になった瞬間ということだろう。

しかし、病室の担当看護師も、付き添っていたトップクラスの看護師たちも、機器の数字から患者の変化に気づいていた。看護師たちは顔を見合わせた。「サチュレーション(動脈血酸素飽和度)が下がっている」と小声で報告し合っていた。サチュレーションとは指に挟む機器で測る数値で、下がってくると危ないらしい。

新郎新婦は素人なので、その変化に気づくことはない。
いつまでも母親の耳元で叫び、手を固く握り締めていた。
「でも、急にオカンの僕の手を握る力が弱くなったんです」と言った。
ええ? そんなテレビドラマみたいなことってあるの?」と中川が聞いた。 あったのである。
C子は、息子夫婦に両手を握られて亡くなったのである。
息子夫婦の到着まで死ぬのをこらえていたのである。
人間にそんなことってできるのだろうか。



多くの看護師仲間に送られた彼女

一週間後に行われた葬儀は、やはり各界からの弔問客でいっぱいになった。
県内の多くの看護師たちが参列し、名もない一人の看護師の冥福を祈った。
告別式の日、実際に彼女が来ていたユニフォームを、棺を開けて彼女にかけてあげるセレモニーがあり、悲しみの嗚咽は頂点に達した。

この日ばかりは、式場に座標軸のように並べられたパイプ椅子群は、最前列の親族は別にして、前の方から看護師たちの一群が陣取った。ドクターや公務員、その他の職種の人々がその次に座り、自然とエリアが分かれた。

彼女に直接、あの説教部屋で強く教育された歴代の看護師たちは、遠慮なくワーワー大声で泣いていた。

中川が心配していた口からの体液漏れは起こらなかった。顔のむくみはほとんど取れて、生前の面影が戻っていた。まつ毛も彼女らしく美しく復元されていた。
 
これが中川が語った、戦友の一人の最期である。




 
さて、後日談を加筆して筆を擱(お)こう。長男のことを記す。
長男は定職を持たず、アルバイトで生活していた。 いつもレゲエのアーチストみたいなスタイルで夜の街を歩いていた。 結婚式当日に病室で撮られた写真にも写っていないし、葬儀当日の話題にも登場しないので、どちらも欠席したのかもしれない。
 
しかし、のちに次男と再会した時にその兄貴のことを尋ねたら、
「俺も、オカンみたいな嫁をもらうんだ」と言っていたという。
もうレゲエのスタイルはしていないらしい。



(この文章は事実をもとにしていますが、ちょっとだけフィクションです)     (文:コバヤシカミュ)

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